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ジャーナル

紙の書籍離れ?電子書籍は売上ランキングに入れないのに?

紙の書籍離れ?電子書籍は売上ランキングに入れないのに?

書店の本棚が薄くなっていく話を聞くたびに、ふと思うことがある。 書店の嘆きは、本当に現代に寄り添っているのだろうか。紙の書籍じゃないといけない理由は、いったいなんだ? あなたはどうだろう。本は紙派? それとも電子書籍で十分派? 私は両方使う。でもランキングを見ると、あちらは紙の世界ばかりだった。 書籍離れ、書店離れ 紙にこだわる理由ってなんだという話。 書籍ランキングとか販売では、頑なに「紙」と「電子」が切り分けられている。特に書籍ランキングね。 これは実店舗の購入数をもとに作成しているけど、電子書籍のランキングは公共の場では聞かない。それは配信プラットフォームであるからだ。 ランキングに映らない電子書籍 紙と電子で売上に差異があるのかどうかもわからない。 コスト的にいえば、デバイスで原稿を作成しているから、文章だけなら印刷も必要ないし、今なら校正をAIに任せることもできる。 デジタルファーストであるなら、今の出版社はよっぽど作業効率とか生産性で日本の上位に入れるはず。 輸出モデルは「残り物」から変われるか その前提として、「日本のアニメ・マンガが世界で受け入れられているかどうか」にある。 NARUTOはアメリカで人気だし、ブラジルではキャプテン翼がきっかけで選手になった人もいる。 とはいえ、いかんせん古いし、この時代はまだ翻訳もろくにできてない時代だった。いわば日本で残っているものを輸出するだけでも成功していたようなもの。 AIローカライズはもう現実に 現代では、画像生成AIを使えばマンガの吹き出しも瞬時にローカライズできてしまう。 ようするに、日本語で作成しても電子なら、オンライン上でDLする人の国籍にあわせて、クラウド上のAIが自動でセリフを翻訳して見やすいようにすることができる。 権利とリスクで止まる日本 これがもう実現可能なのに、日本は独自のAIがないから、他社を利用することができない。 おまけに、権利を主張していっこうに話しが進まない。海賊版うんぬんで経済損失とかいうなら、海賊版を作る意味がないほど、外国向けにローカライズして配信するようにしたらいい。 AIに触れている人ほど、これが痛いほどわかっていると思うが、経営者層ほど「作者の権利」を守るためといって、新しい市場に手をだす「リスク」を渋っている。だから負けてしまうのだ。 紙の本に残る役目 紙の書籍には紙の書籍にしかできない役目がある。 「本を、読む、行為」は何千年と続いてきた文化ではあるし、本という知識デバイスもDNAに刻まれているのではないかと考えている。 学校の図書室がいずれデジタル化することはあるだろうけど、子どもだからこそ、手と目を動かして能動的に文字を読む行為は、廃れされてはいけないと考える。なぜなら、紙の本ほど他人と共有しやすいからだ。 まとめ:ランキングの死角 書籍離れの話は、紙が嫌われた話だけではない。売上の見え方が紙に偏っているから、電子の勢いが公共の場に届かない——その構造の方が気になる。 紙の本は消えない。共有しやすさという強みは残る。ただ、ランキングだけを見て「本が売れない」と嘆くのは、半分しか見えていないのではないだろうか。

AV新法で何が変わるのか

AV新法で何が変わるのか

「AV新法、何が変わるの?」 ——リアルタイム検索で出てくるのは、断片的な見出しばかりだ。詳しい説明はほとんどない。同人AVが規制対象みたいだ、出演者の同意が必要だ、という単語は拾える。でも、そこから先が見えない。 あなたはどうだろう。新法=撮影そのものの禁止、と理解している派? それとも、販売・商用利用のルールが変わる話だと捉えている派? 私は後者に近い。無許可での撮影そのものを全面禁止する法律ではなく、金銭を受け取って販売する段階で許諾が必要になる——という整理がしっくりくる。そしてその先に、税金や収益の透明性という話がつながっているのではないかと考えている。 割を食うのは配信プラットフォーム 影響が大きいのは、作品を流通させる配信プラットフォーム側だ。Fantia、FANZA、FC2あたりでの販売が多い。個人クリエイターが作品を上げ、プラットフォームが決済と配信を担う——この構造が、新法とガイドライン改定の交点になる。 Fantiaは2025年5月、モザイク・ぼかし・ベタ塗りなど「隠す部分を正しく隠す」ことを標準ガイドラインとして改定した。 【重要】修正・モザイク基準に関するガイドライン改定のお知らせ | ファンティア スポットライト 表向きは品質基準の話だが、裏側には出品物のコンプライアンスをプラットフォーム側で担保する圧力がある。個人が勝手に売っていたものを、法人が責任を持って流通させる——その責任の線引きが、今まさに動いている。 「出演者の同意」表示義務とは 新法周辺でよく出てくるのが、出演者の同意だ。書面での契約が主な役割を担う。商品を販売するうえで「出演者に同意のもとで制作した」という記載があれば、一定の要件は満たせる、という理解でよい。 契約書があれば法律でより強く縛れる。ただし契約書そのものを公開することには個人情報の問題がある。だから実務上は、文面での同意表明——「同意はあります」——しか出せないケースが多い。 ここで温度差が出る。 風営法のもとで健全なコンテンツ制作を続けてきたアダルトビデオ業界——公に認められているとは言いづらいが——は、もともと契約のうえで出演している。だからAV新法の影響は、既存の大手メーカーにとっては微細だ。もし「影響がやばい」と騒いでいるなら、書面契約がなくブラックな運用をしていた、という話になるのではないか。 逆に、あおりを受けるのは同人AVや個人制作のほうだ。この界隈はトラブルが多いことも事実だ。法律的には健全な販売をしている大手メーカーと、個人の無法地帯的な販売が、同じ「AV」というラベルの下に並んで見える——それが今回の違和感の正体だと思う。 AV界隈でいえば、法人はアダルトビデオメーカー、同人(個人)はそれまで影の濃いゾーンだった、という対比が近い。 無許可撮影ではなく「商用利用」が焦点 著作権の世界でもよくある整理がある。「個人で楽しむぶんならOK」という判断だ。スマホで撮影して、お互いか当人だけが見るだけなら、そこまで問題にならない。 それを商用利用する——ネット上で売る、欲しい人に金銭を受け取って渡す——段階に入ると、双方の同意が必要になる。撮影の自由と、販売のルールは別のレイヤーだ。 ということは、新法の焦点は「撮ってはいけない」ではなく、「売るなら許諾と透明性を」にある。そこに税金の話がつながるのは自然だ。今まで表に出ていなかった収益が、プラットフォーム経由で可視化される。国にとっては、そこが見えるようになることが本丸なのではないか。 まとめ:影の収益が焦点 AV新法で大きく変わるのは、撮影そのものの禁止ではない。商用販売における出演者同意と、収益の見える化だ。 既存メーカーはもともと契約ベースで動いているから、衝撃は小さい。揺れるのは同人・個人販売と、それを載せるプラットフォーム側だ。Fantiaのモザイク基準改定も、その一環に見える。 「何が変わるのか」と聞かれたら、私はこう答える。個人の影にあった販売が、同意のラベルと税金の目が届く場所へ移動しつつある——それが今起きていることだ。

配信者は家賃でマンション契約は落ちやすいけど一括購入なら行ける話

配信者は家賃でマンション契約は落ちやすいけど一括購入なら行ける話

「月100万稼いでるのに、賃貸審査で落ちた」 「配信者って職業欄に書きにくいし、大家さんに嫌われそう」 ——配信者の住まい探しは、収入の額とは別の話だ。私はふと気になって調べてみた。家賃でマンションを借りるのと、一括で買うのでは、審査の壁がどう違うのか。 あなたはどうだろう。クリエイター収入、通帳で証明できれば十分だと思う派? それとも「職業そのものがリスク」だと感じる派? 私は後者寄りだ。数字があっても、審査側の不安は消えない。 配信者はマンションの賃貸審査で不利になりやすい 結論から言うと、不利になりやすい。 専業の配信者やYouTuberは、不動産の審査では個人事業主として扱われる。会社員と違い、給与明細1枚では収入が証明できない。確定申告書・納税証明書・通帳の写しなど、自分で材料を揃える必要がある。 それでも落ちるケースは珍しくない。月100万円以上の収益があっても審査不通過になった、という相談は不動産会社のコラムに実名なしで何度も出てくる。 なぜか。審査側が見ているのは「今の収入」だけじゃない。 第一に、収入の継続性だ。配信収益はプラットフォーム依存で、広告単価の変動やアルゴリズム変更で急に落ちる。開業1年未満で確定申告がまだない場合、公的な裏付けが弱い。 第二に、職業イメージにまつわるリスクだ。騒音トラブル——ゲーム実況や歌配信なら特に——近隣への配慮、自宅へのファン訪問、撮影機材の搬入など、大家や管理会社が懸念しやすい要素がある。防音室を入れても、賃貸契約上は原状回復や禁止事項の問題が残る。 第三に、信用情報だ。過去のクレジットカード滞納や分割払いの遅延が個人信用情報機関に残っていると、収入が十分でも門前払いされる。水商売でローンが通りにくい、という話と構造は似ている。職業そのものより、信用の傷と書類の欠如が重なると厳しくなる。 審査を通すには何を見せればいいのか 賃貸で現実的な手は、だいたい決まっている。 開業2年目以降で確定申告書と納税証明書を提出できる状態にする。家賃の1〜2年分に相当する預貯金を残高証明で示す。撮影・配信を主用途にしない旨を書面で伝える。事務所や企業に所属し、給与や業務委託の形で収入を安定させる。 審査が厳しい物件を避け、独立系の保証会社を使う物件やUR賃貸を検討する、という選択肢もある。 ただ、これは「通る可能性を上げる」話であって、職業欄に「配信者」と書いた瞬間に大家の印象が変わる、という心理的ハードルまでは消えない。収入証明はできる。でも50年後までこの収入が続くかは、本人にもわからない。YouTubeがなくなる可能性はゼロじゃないし、広告以外の収益モデルに移ってクリエイター配分が縮む可能性も捨てきれない。 賃貸審査は「今の支払い能力」を見る。住宅ローンはもっと長い目で見る。ここが分岐点になる。 住宅ローンは融資で落ちるだろう、という話 一括購入の話の前に、ローンの現実を置いておく。 フリーランス・個人事業主の住宅ローン審査は、会社員より厳しいのが通説だ。多くの金融機関は直近2〜3期分の確定申告書を求め、売上ではなく所得(経費控除後)で返済能力を判断する。節税のために経費を厚くすると、借入可能額はそのまま下がる。 YouTuberは「急に広告単価が変わる職業」として、保証会社にまだ十分に安心材料がない、という指摘もある。フラット35のように確定申告1年分で申し込める枠もあるが、継続収入の見通しは問われる。 仮に50年ローンを組むとして、50年間配信収益で食っていける保証はない。審査側が慎重になるのは、わからなくもない。 一括購入なら「職業」の壁は下がる ここでタイトルの後半に入る。現金一括なら、話はかなり変わる。 住宅ローンの返済能力審査が不要になる。売買契約は売主と買主の合意が中心で、賃貸のような「入居者としてのリスク評価」とは土俵が違う。職業欄に配信者と書く場面自体が少ない。 実際、トップ層のYouTuberが高額マンションを購入した報道はある。2026年1月、ヒカル氏が都内マンションを37億円で購入したと報じられ、本人も「YouTuberは住むところが難しい」「過去は強制退去に近い形で出ていった」など、賃貸側の厳しさを語っている。頭金6億円、残額も事業収入とパートナーとの共同で賄う——完全な現金一括ではないが、「買った」という事実のほうが大家に聞こえやすい、というドラフトの直感はここに近い。 もちろん一括だからといって審査がゼロではない。マネーロンダリング対策で資金の出所を問われる。高額物件なら売主側の確認も入る。連帯保証や身元保証が絡むケースもある。ただ、賃貸審査で躓く「収入の不安定さ」と「騒音・職業イメージ」の組み合わせとは、性質が違う。 信用が足りないとき、法人とチームが効く 個人の信用だけでは足りないとき、法人化や企業所属の話が出てくる。 法人は法的に認められた主体だ。個人事業主より税負担は増えるが、取引の相手としての体裁は整いやすい。配信者には事務所・チーム・企業所属という形もある。企業が保証人になれる、住居を社宅として提供できる、雇用保険を適用できる——売上を折半する代わりに、社会的信用を組織から借りられる。 「お得意様が代わりに買って上げる」というのは極端な例だが、構造としては同じだ。個人の職業欄では説明しきれない収入やリスクを、別の主体が肩代わりする。 防音室を入れたい配信者にとっても、法人名義の物件や事務所付き住居のほうが交渉しやすい場面はある。ただしそれはハードルの移動であって、コストと税金の問題は残る。 まとめ:借りると買うでは見られるものが違う 配信者がマンションの家賃契約で落ちやすいのは、収入の額より収入の見え方と職業リスクのほうが効いているからだろう。一括購入や法人経由なら、別のルートが開く。でも融資はまた別の壁になる。 私は、いつか住まいを本気で考えるクリエイターなら、稼いだ年から2〜3年後の確定申告と、防音の要否まで含めた住居プランを先に設計しておくほうがいい、と思っている。審査は後から追いつかない。

「この研究に何の意味があるんですか」——いじめか、それとも問いかけか

「この研究に何の意味があるんですか」——いじめか、それとも問いかけか

「この研究に何の意味があるんですか?」 研究結果の報告や発表の場で、指導教員からこう聞かれた経験がある人は少なくないだろう。アカデミックスキルズでもこの議題が取り上げられていて、私はかなり興味深いと感じた。 あなたはどうだろう。この問いかけ、いじめだと感じる派? それとも「当然の確認」だと受け取る派? 私は最初、両方の説明が筋が通ると思った。でも整理していくうちに、問いそのものより聞き方と前提の共有のほうが本質的な論点だと感じるようになった。 いじめと受け取られる問いかけ 「この研究に何の意味があるんですか?」 この問いかけを「先生によるいじめ」と受け取る生徒が多いといわれる。 それに対する反論として、先生側には「なぜこのデータ(研究)をしたのか━━に根源的な理由をつけて説明してほしい」という裏側がある。じゃあ最初からそういえよ、って話にもなる。 文脈の裏側を会話しながら探るのは、そういう席では重要になる。研究結果の報告で、この質問は意地悪に受け取る人もいれば、想定された質問なので流暢に答える人もいるだろう。 てことは、この質問をいじめだと受け取るのは、研究する意味を深く考えていない場合に該当するのではないかと考える。確固たる意思があるなら「なぜやった?」に対しての反論は出てくるはず。その裁量を引き出すためのパスであると、私は理解した。 パワハラに感じる受け取り手もいる 理解したんだけど、受け取り手によってはパワハラに感じるのは確か。 あえて意地悪な言い方で"そう質問する"タイプだっているはず。生徒を伸ばす意味ではなく、ただの嫌がらせでそういった質問をする人は、企業面接だってある。「なぜ当社を選んだ?」が代表的だろう。 こういった質問に回答するためには、理由に意味を持たせないといけない。急ごしらえの「とりあえず」「適当で……」では、研究者としての命題が立たない。問いに耐えられないのは、言い方の問題だけではない。 オナラの色から見る「理由」の重さ たとえば「オナラに色はあるんだろうか」という議題でも、色がないにしてもアニメや漫画で色をつけるのはなぜか、という問いにはちゃんと理由がある。 視聴者の視認性を優先していること。黄色はクソを連想するから、あきらかに臭そうだと視覚で認識できる——みたいな。 くだけた例だが、ポイントは同じだ。表面的な現象に対して、なぜそうなっているのかを言語化できるかどうか。研究の報告も、データの提示も、結局はそこに帰着する。 理由をあまり深く考えず、とりあえず・適当で……など、急ごしらえで研究者としての命題がないと、こういった質問に対処できない。 文脈の裏側を知れ、はもう古い 意地悪な質問だが、裏側を知ると「なるほどな」と納得した。 でも、あえていわせてもらいたい。なら、理由から聞けよ。その方が早いだろと。 「文脈の裏側を知れ」みたいな感じは、戦国時代くらいでいいんだよと。序列の意図とか、上座と下座の配置に階級があるからあえて後ろに座らせて怒らせるとかさ。回りくどいコミュニケーションをしてパワハラといわれているんだから、単刀直入にいったほうが早くね?と思うわけだ。 研究指導も面接も、本当に知りたいのは「なぜやったのか」「何のためにやるのか」だ。それを遠回しに聞く文化が、受け手の防衛反応を強めている面はあるのではないだろうか。 まとめ:理由から聞けばいい 「この研究に何の意味があるんですか」は、悪意のある言葉にも、裁量を引き出すための問いにもなりうる。 私が言いたいのは、問いの善悪より、最初から理由を聞けばいいということだ。先生側も「面白いね」「つまんね」くらいの率直さで、なぜこの研究をしたのかを先に聞いたほうが、双方にとって建設的なはずだ。 回りくどい序列のコミュニケーションは、もう卒業していい時代なのではないかと、私は思っている。

シャドーAIはなぜ会社だけで起きるのか——経費化と個人アカウントの未来

シャドーAIはなぜ会社だけで起きるのか——経費化と個人アカウントの未来

「家ではClaude、会社ではCopilot——会社のは使いにくいから、資料だけ個人アカウントに流し込んでる」 ——こういう話を聞くと、私はまずなぜ会社の話だけになるのかを考える。フリーランスが好きなAIを使うのは、シャドーAIとは呼ばれない。個人で副業している人がChatGPT Plusを契約するのも、当然の支出だ。 あなたはどうだろう。職場で「推奨AI」と「自分が使いたいAI」が違うとき、経費申請して堂々と使う派? それとも個人契約でこっそり使う派? 私は前者が理想だと思っている。でも現実には後者が増えている。それは社員の意識が低いからというより、組織の仕組みが追いついていないからだと見ている。 シャドーAIは「組織」がないと成立しない シャドーAIの定義自体は短くてよい。企業が推奨・許可したAIとは別のツールを、業務のために社内でこっそり使うことだ。セキュリティ上のリスクは別記事で整理したので、ここでは触れない。 問題は、なぜこの現象が会社・企業に偏るのか。 理由はシンプルで、シャドーには「影」が必要だ。つまり、表に出せない公式ルールと、現場の実態のギャップがなければ、影は生まれない。 個人事業主や小規模チームには、そのギャップが小さい。使うツールを自分で決め、代金も自分で払う。誰かに隠す必要がない。Claudeが得意ならClaude、Copilotで十分ならCopilot——選択と支払いが同一人物の中で完結する。 一方、中規模以上の組織には三つの層が重なる。 IT統制——情報システム部門が許可したソフトだけを業務PCに入れる、というルール。 経費制度——会社が払うものと、個人負担のものの境界。 情報管理——社外秘・個人情報・顧客データをどこまで外部サービスに渡していいか、という線引き。 この三者がずれた瞬間にシャドーAIが生まれる。現場は「Claudeの方が早い」と感じる。ITは「Copilotだけ許可」と言う。経理は「AI利用料の科目がない」と言う。結果、社員は個人のクレジットカードで契約し、業務データを個人アカウントに入れる——これがシャドーAIの典型ルートだ。 フリーランスにこの構図はない。影を作るのは、組織の階層と承認フローなのだ。 経費に載らないから、こっそり使う もう一つの背景は、AI利用料がまだ「経費」として定着していないことだ。 参考書やセミナー代、クラウドストレージ、専門ソフトのサブスク——知識労働では、個人の生産性を上げるツールを会社が負担する例は珍しくない。ChatGPT Plusが月20ドル、Claude Proが月20ドル、Cursorが月20ドル。金額感はそこそこだが、書籍代や小さなSaaSと同じオーダーだ。 それなのに多くの企業では、AIサブスクの経費申請ルートが整っていない。「ソフトウェア費」に含めるのか、「研修費」なのか、「消耗品」なのか——科目すら決まっていないケースがある。 科目がないと、申請する社員は勇気がいる。「会社が許可していないツール代を経費にしてよいのか」と思う。申請しなければ個人負担になる。個人負担なら、せっかく払っているのだから性能のいい方を使いたい——そこで社内資料を流し込む。シャドーAIは、経費制度の空白地帯から生えてくるわけだ。 AI利用料は経費にすべきか 私の答えは、条件付きでYesだ。 ただし「社員が好きなAIをなんでも会社負担」ではない。全員に月200ドルのMaxプランを配るのは、現実的でも公平でもない。使わない人の分が固定費になるし、開発部門と総務部門で必要度が違う。 現実的なのは次のような形だと思う。 定額のAI手当——月3,000円〜5,000円程度を「業務用AIツール」として計上し、ツール名は社員に委ねる。ChatGPTでもClaudeでもGeminiでも、生産性に効くものを選ばせる。 職種・プロジェクト単位の枠——エンジニア、マーケター、企画職など、AIを常用するポジションだけ上限を上げる。期間限定プロジェクトなら、その期間だけ付与する。 使途の報告は最小限、線引きは最大限——何に使ったかの日報までは求めなくていい。代わりに「社外秘・個人情報・未公開の顧客データを外部AIに入れない」は全員共通のルールにする。 経費化の目的は、社員の懐を痛めさせないことだけではない。シャドーAIを減らすことでもある。堂々と個人アカウントを業務に使えるなら、データを隠す動機は弱まる。会社は「どのAIか」ではなく「何を入れてはいけないか」で管理できる。 とはいえ、経費にすればすべて解決するわけではない。税務上の扱い、グループ会社間の費用分担、海外ツールの為替——日本企業特有のもたつきはまだある。それでも、Copilot一択のまま経費科目を作らない方が、長期的にはリスクが高いと私は見ている。 企業アカウントより、個人アカウントを渡す方向へ ここからは未来予測だ。 いま主流になりつつあるのは、Microsoft 365にCopilotを足して全社展開するモデルだ。一括契約、一元管理、監査ログ——IT部門にとってはわかりやすい。だが現場の不満は「性能」「慣れ」「用途の違い」に集まる。資料づくりはCopilotで足りる人もいる。コードや長文の推敲はClaudeがいい人もいる。画像は別モデル——そういう使い分けは、一人の頭の中で自然に起きている。 その先に来るのは、企業が一つのAIを選び、社員全員に同じ座席を配るのではなく、予算だけ会社が出し、アカウントは個人に持たせるモデルではないだろうか。 スマートフォンやPCのBYOD(持ち込み)と似た発想だ。会社支給の端末に決め打ちのアプリだけ、ではなく、業務に必要な範囲で個人の環境を使う。AIも同じになる。会社のMicrosoftアカウントでCopilotにログインするのではなく、社員個人のClaudeアカウントに月額を会社が立て替える——あるいは手当として渡す。 メリットははっきりしている。 社員は自分に合ったモデルを選べる。シャドー感が薄れる。「こっそり」ではなく「会社が認めた個人契約」になる。ツールの乗り換えコストも個人側に残るので、ベンダーロックインへの不満が組織全体に波及しにくい。 デメリットもある。監査が難しい。誰が何を入力したか、企業アカウントほどきれいには追えない。退職したあとアカウントに業務履歴が残る。複数ツールが乱立すれば、情報管理の教育コストも上がる。 でも、それは「個人アカウントだからダメ」というより、秘密情報を外部AIに入れないというルールを、アカウント種別と切り離して徹底する話だ。企業契約のCopilotに社外秘を投げても、個人のClaudeに投げても、境界を越えた時点で同じ事故になる。アカウントの名義より、データの扱いの方が本質だ。 私が想像する十年後は、こういう景色だ。 知識労働者の多くが、自分で選んだAIを業務の標準装備として使っている。会社はベンダーではなく「月いくらまで」を決める。IT部門はソフトの配布係から、データ分類と教育の設計係に寄る。シャドーAIという言葉は、未承認のデータ持ち込みの話に意味が変わる——ツールそのものが影になることは減る。 Copilotが消えるわけではない。ExcelとTeamsの中で完結する人には、これまでどおり最適な選択肢の一つだ。ただ「会社が決めた一択」から「会社が買い上げた選択肢の一つ」へ、重心が動くのではないか。 まとめ:影は制度が作る シャドーAIを「社員のルール違反」だけで片づけるのは早計だ。個人で使う分には問題にならない現象が、組織の中だけで影になる——それはツールの善悪より、IT統制・経費制度・情報管理の設計の問題だ。 AI利用料を経費にするかどうかは、もう検討段階を過ぎているはずだ。全額無制限ではなく、定額手当と職種別の枠で十分始められる。そしてその先には、企業アカウント一強ではなく、一人ひとりがAIを選び、会社がその選択を支える社会の方が、生産性とも安全とも両立しやすい。 私は、シャドーAIの議論は「禁止を強化する」方向より「堂々と使える制度を作る」方向に進むべきだと思っている。影を追いかけるより、光の当たる場所を増やす方が——組織にとっても、働く個人にとっても、合理的なのではないだろうか。

ヘイトを除いたSNSは、なぜすぐ飽きられるのか

ヘイトを除いたSNSは、なぜすぐ飽きられるのか

「誹謗中傷を根絶したSNS」 「同じ価値観の人だけが集まる、安全なコミュニティ」 ——リリース直後は話題になる。メディアも取り上げる。でも数ヶ月もすると、更新頻度が落ち、新規流入が鈍る。ようは飽きられるわけだ。 あなたはどうだろう。そういう場所、一度は覗いてみた派? それとも「最初から行かない」派? 私は前者に近い。興味はある。でも長くは残らない。なぜだろうか——人間の意識をひとつに統一するなんて、もともと無理だったんじゃないか、と最近はそう考えている。 ヘイトがない世界を実現したらどうなるか SNSでヘイトや誹謗中傷を規制したタイプが、ときどき生まれる。 思想が近い人が集まり、荒らしや攻撃的な投稿を弾く。設計としては「健全なコミュニティ」に見える。リリース時には話題になる。けれど運用が進むと、集客が伸びにくい感じがする。 なぜ飽きるのだろうか。 まず前提として、争いがゼロになること自体は、多くの人が口では望んでいる。誰も傷つけられたくない。スクリーンを開いて胃がキリキリするのは、たまらなく面倒だ。 ただ、争いが消えると同時に、別のものも消える。タイムラインが穏やかになる。穏やかすぎて、スクロールする理由が薄れる。 同じ思想が集まると、争いは減るが刺激も減る 同じ思想が集まることは、争いを生みにくくする。理想論としてはそれでいい。 でも刺激がない。 賛成ばかりの会話は、安心はするが記憶に残りにくい。逆説的だが、人は「何かが起きた」と感じないと、そこに戻る動機が弱い。炎上、論争、誤解、すれ違い——醜い部分を除いたSNSは、同時に「何が起きているのか」も薄くなる。 これはアテンションエコノミーの話でもある。注目を集めるには、感情の振幅が要る。規制で振幅を抑えれば、安全にはなる。けれど振幅が小さすぎると、そもそも目に留まらない。 個人的には、これは設計者の失敗というより、人間の消費行動の癖に近いと思っている。善いコミュニティを作ろうとすればするほど、エンタメ性は落ちやすい——そのトレードオフを見誤っているサービスが多いのではないだろうか。 人は「普通」の中の逸脱を見たがっている なんだかんだで、人は普通を嫌う、という感覚がある。 ここでいう普通とは、万人に受ける無難さのことだ。誰も傷つけない言い回し、誰も驚かない意見、誰も議論しない結論。穏やかで均質なタイムラインは、まさにその普通に近い。 SNSが面白いと感じられるのは、普通の中に逸脱が紛れているからではないだろうか。 極端な意見、予想外の反応、ちょっとしたズレ、見知らぬ誰かの生活の断片——平均から外れたものが、タイムラインの中で目立つ。だからスクロールが止まる。だから「あの人何考えてるんだ」と口に出す。 ヘイトや誹謗中傷は、その逸脱の最悪形だ。だから規制したくなる。でも規制を徹底すると、逸脱そのものも一緒に削ぎ落とされやすい。安全と刺激のあいだに、きれいな線は引けない。 意識をひとつに統一するなんて無理だった ここまで来ると、論点はSNSの設計から、もう少し根の深いところに移る。 人間の意識をひとつに統一するなんて、もともと無理だったんじゃないか。 価値観、政治立場、ユーモアのセンス、怒りの閾値——人によってバラバラだ。同じ言葉を見ても、刺さる人と刺さらない人がいる。それを一つの空間でなだらかに溶かそうとすると、結果的に誰にとってもどうでもいい内容に寄っていく。 「みんな仲良く」は美しいスローガンだ。でも実際の人間関係は、同意と反対、共感と嫌悪、無関心と過剰反応が混ざったものだ。SNSはその縮図をリアルタイムで晒している。だから荒れる。だから面白い。だから、きれいに整えすぎると退屈になる。 つまり、ヘイトを除いたSNSが消えていくのは、運営が下手だからだけではない。人間がそういう場所に長く留まる理由が、構造的に弱い——そういう見方もできる。 まとめ:統一より逸脱 ヘイトのないSNSは、道徳的には正しい方向に見える。でも人は、安全な同質空間より、多少荒れていても「何かがある」空間に引かれやすい。 私はこれを擁護したいわけではない。誹謗中傷を許容しろ、という話ではない。ただ、意識の統一を前提にした設計は、最初から破綻しやすい——その構造を理解しないまま「優しいSNS」を作っても、また同じところで止まるのではないだろうか。 あなたが求めているのは、安全な場所か。それとも、違和感のある場所か。答えは人それぞれだ。けれど多くの人は、口では前者と言いながら、指は後者のほうをスクロールしている——そんな気がしてならない。

HYROXとSASUKE——日本で「筋肉アスリート」を測る物差しはどちらか

HYROXとSASUKE——日本で「筋肉アスリート」を測る物差しはどちらか

YouTubeのおすすめに、突然「筋肉アスリートの競技」らしき映像が流れてきた。 2024年のHYROX世界選手権(男子Elite 15)のハイライトだ。絶対王者と目されていたハンター・マッキンタイア選手が失速し、ペナルティとジャッジのNo Rep判定が絡んで、最後のWall Ballsまで勝敗が分からない展開になっている。 私は最初、「これなんだ?」と思った。SASUKEは知っている。でもHYROXという名前は、フィットネス界隈以外ではまだ薄いはずだ。 あなたはどうだろう。「筋肉系の競技」と聞いて真っ先に浮かぶのは、SASUKE派? それとも最近よく聞くHYROX派? 私はSASUKEのほうが先に出てくる。そこから、日本での知名度と、メディアが物語を拾いやすい条件について整理してみることにした。 HYROXとは何か HYROX(ハイロックス)は、2017年にドイツで誕生したインドア・フィットネス・レースだ。 ルールは明快で、過酷だ。「1kmのランニング + 1つのワークアウト」を8セット繰り返す。合計で8kmの走行と8種類の機能的ワークアウトを、いかに早く完遂できるかを競う。 種目と順序は世界共通で固定されている。スキーエルゴ、スレッドプッシュ/プル、バーピーブロードジャンプ、ローイング、ファーマーズキャリー、サンドバッグランジ、ウォールボール——いずれも、走る・押す・引く・投げるといった基本動作の延長線上にある。 クロスフィットのように当日までメニューが分からないわけでも、スパルタンレースのように屋外の地形や泥に左右されるわけでもない。純粋にフィットネスレベルと、疲労下での作業能力(ワークキャパシティ)を数値化しやすい設計だ。 パワー競技に見えがちだが、実態はランニング寄りだ。高負荷のステーションのあと、いかに早く走りのペースに戻れるかが勝負の芯になる。 世界と日本——知名度の温度差 世界的には、もう「急成長」という段階を過ぎている。2026年時点で80都市以上・年間100回超の大会が開催され、累計参加者は約90万人規模まで膨らんでいる。SNSでの映え、明確な世界ランキング、プロ選手とアマチュアが同じコースを走る構造が、フィットネスカルチャーとして定着した。 日本への上陸は比較的最近だが、業界内の勢いは凄まじい。2025年8月・横浜:日本初開催。世界43カ国から約3,800名がエントリーし、チケットは完売 2026年1月・大阪:関西圏へ拡大 2026年8月・千葉(予定):幕張メッセで4日間の大規模開催。PUMAなど大手ブランドの公式コレクションも出ている 国内の公認・提携ジムは40店舗超。一般ジムでもスキーエルゴやスレッドを「HYROX対策」として導入する動きが進んでいるフィットネスに関心のある層にとっては、「いま来ているトレンド」だ。一方で、一般視聴者がテレビのゴールデンタイムで見慣れている競技ではない。YouTubeやInstagram経由で初めて名前を聞く——私のようなルートが、いまの日本ではまだ主流に近い。 つまり、業界内の熱量と、国民的な認知の間にギャップがある。ここが、SASUKEとの比較をする意味になる。 SASUKE——日本における「筋肉アスリート」の物差し 日本で「筋肉系の競技」と言われたとき、長年のデファクトスタンダードはSASUKE(忍者戦士)だろう。 1990年代から続く地上波の看板番組として、一般層への浸透度は桁違いだ。「完全制覇」「第1ステージ落ち」といった語彙は、スポーツファンでなくても通じる。 SASUKEが優れた「指標」になっている理由は、筋力だけではない。エンタメとしての完成度:落ちる瞬間、惜しい瞬間、異次元のクリア——ドラマの型が確立している 男女別の競技枠:KUNOICHIという姉妹番組もあり、性別ごとに物語を分けやすい 「誰が最強か」が直感的:最後の壁を越えたか、どこで落ちたか——結果が一目でわかるただし、SASUKEが測っているのは「総合フィットネス」ではない。握力、バランス、爆発力、独自の障害物攻略スキル——個別の身体能力と、番組固有のコース設計への適応力のほうが強い。 ジムで鍛えた持久力や心肺機能が、そのままSASUKEの成績に直結するとは限らない。逆に言えば、SASUKEが強い人が、レース形式のフィットネス競技でも最強とは限らない。 HYROXがメディア向きに見える理由 さて、冒頭の世界選手権ハイライトに戻る。ペナルティ、No Rep、最終種目での逆転——これは偶然ではなく、競技設計と相性がいい。 HYROXがメディアの物語として拾われやすい条件を、SASUKEと並べて整理するとこうなる。観点 SASUKE HYROX開催環境 屋外セット中心(天候・撮影条件に左右) 屋内固定(会場・照明・カメラ位置を設計できる)ルールの再現性 コース改修があり、年によって難易度が変わる 種目・距離が世界共通で固定成績の比較 クリア/脱落が主で、タイム比較は副次的 タイムと順位が主軸。世界ランキングが機能する男女の競技 KUNOICHIとして別番組 同一フォーマットで男女カテゴリーを並走ドラマの源泉 落ちる恐怖、唯一の完全制覇 ペナルティ、ジャッジ判定、終盤の失速と逆転個人的には、「屋内で撮れる」「タイムで語れる」「男女を同じ物差しで並べられる」——この3つが、テレビやストリーミングの編集者にとってはかなり使いやすいはずだ。 SASUKEがエンタメとして強いのは、障害物という「見せ場」が最初から組み込まれているからだ。HYROXは、一見地味な反復動作の積み重ねのなかに、判定とペース配分という緊張を埋め込んでいる。2024年のロンコビッチ選手の優勝は、「最後のWall Ballsで相手が崩れる」というゲームプランを信じ抜いた戦略勝ちとして語られ、コミュニティに刺さった。 フィットネスレースは「鍛えている人の延長」だから、視聴者が自分ごとにしやすい面もある。SASUKEは「超人の話」になりがちだが、HYROXは「自分も挑戦できる距離感」を残しつつ、エリート同士の熱戦も見せられる。 日本の知名度——いまどこにいるか ここまで読むと、「HYROXはメディア向きでは?」と思えるかもしれない。ただ、認知の現実はもう一段階遅れている。フィットネス業界:導入ジム増加、大会完売、ブランド参入——認知は急速に上がっている 一般視聴者:SASUKE/KUNOICHIのほうが圧倒的に名前が通じる 発見経路:YouTube・TikTok・Instagramが主。地上波の定期枠はまだない日本では、筋肉アスリートの象徴としてSASUKEが先に植え付けられている。HYROXは「ジムで汗をかく人のあいだでは流行っているが、家族に説明すると一から始める」段階だ。 とはいえ、横浜初開催で3,800人規模・完売という事実は無視できない。大会そのものがコンテンツになりつつある。あとは、その熱量を番組化するか、SNSのまま閉じるか——メディア側の判断待ち、という顔もしている。 SASUKEとHYROXは競合ではなく、別の物差し 最後に整理すると、両者は「どちらが正しい筋肉指標か」という関係ではない。 SASUKEは、日本における身体能力エンターテインメントの最高峰として機能してきた。障害物という非日常が、視聴体験の核だ。 HYROXは、再現可能なフィットネスレースとして、数値と順位で実力を比較する。ジム文化と直結している。 メディアがHYROXを採用するなら、SASUKEの代替ではなく、「持久力とワークキャパシティの頂点を争う別リーグ」として位置づけるほうが自然だろう。室内開催、男女別のエリートカテゴリー、判定が絡むクライマックス——条件はそろっている。 ただ、国民的な名前になるかどうかは、もう一段の翻訳作業が要る。種目名をそのまま並べても刺さらない。「8km走りながら8種目やるレース」——この一言が通じるまで、SASUKEの影は長く残るはずだ。 まとめ:物差しは二つあっていい 日本で「筋肉アスリート」と聞いて真っ先に出てくるのは、いまもSASUKEだ。番組としての歴史、障害物という見せ場、KUNOICHIによる男女別の物語——この土台は揺るがない。 一方でHYROXは、フィットネス業界のなかではすでに「次の標準」に近い。屋内で開ける、タイムで比べられる、エリートのドラマが自然に生まれる——メディアが拾う条件は、意外とそろっている。 私は、どちらか一方が勝つ話ではなく、測っているものが違う物差しが並ぶほうが健全だと思っている。SASUKEは超人の境界線、HYROXは鍛えた身体の数値化——視聴者にとっても、自分の身体を語る言葉が増える。 あなたが次にYouTubeで筋肉系の映像を見たとき、それは障害物か、ランニングマシンとソリか。名前を知っているかどうかで、体験の入口は変わる。でも、どちらも「人間の身体がどこまでいけるか」を見せる装置だ——そこは同じだろうなと思っている。

DX人材を見極めて獲得する——地図が先、人材は後

DX人材を見極めて獲得する——地図が先、人材は後

「DX推進担当を募集します」 「DX人材が足りない」——求人票や業界記事で、同じような言葉を何度も見かける。私はそのたびに、少し首をかしげてしまう。足りないのは人材なのか、それとも「DXで何を実現するか」が決まっていないポジションなのか。 あなたはどうだろう。DX担当の採用で、資格や肩書きをまず見る派? それとも、現場の業務を理解しているかを優先する派? 私は後者に寄せている。DXは売上を加速させる魔法ではなく、人間が入り込む余地をなくすほど自動化を進める話だ。機械にできることと、人間にしかできないことを切り分けたうえで、自社に合った形に落とし込む。人材選びも、その前提がないとミスマッチになる。 先に決めるべきは「DXで何を実現するか」 DX担当者——あるいは推進責任者——が最初にやるべきことは、人を探すことではない。実装の要因、つまり何を自動化し、何を人に残すかを決めることだ。 世間のDX像は、どうしても事務作業をPCに移すイメージに寄りがちだ。紙をPDFにする、請求書をスキャンして帳簿に入れる。これは20年前からOSやクラウドサービスでできることで、DXというより既存ツールの導入に近い。 本当の論点は別のところにある。アナログの性質とデジタルの性質、どちらも理解していないと、「なぜデジタル化するのか」が説明できない。 登り釜の温度管理を例にする。火の守り手が24時間つかずはなれず番をする現場を、デジタルでどう置き換えるか。テスラのロボットが薪を入れること自体は可能かもしれない。だが、どこに薪を入れるか、つむのか減らすのか——現場の判断がハードに落ちていないと、ソフトだけでは動かない。AIが担えるのは知識面までで、溶けないコードで熱源に手を突っ込むロボットは、別の設計課題になる。 こういう現場があるからこそ、DXは「業種の成功事例をコピーする」話ではない。鍛冶師の補助をロボットに任せる話と、事務をPCでやる話は、同じDXと呼んでも中身が違う。同業他社の事例は参考になることもあるが、無関係な分野の事例は、ときに何の手がかりにもならない。 DX担当が選ぶべき実装要因は、ざっくり次の3つに整理できると思っている。 機械に任せられる作業——繰り返し、ルールが明確で、例外が少ないもの。 人に残すべき判断——例外処理、顧客対応、安全や品質に関わる最終責任。 自社固有の制約——設備、慣習、法令、そこにいる人の技能。 この3つが曖昧なまま「DX人材」を探し始めると、採用しても動かない。担当者が先に地図を描くべきだ。 資格と専門学校は、人材確保の答えにならない IPAには「DX認定制度」がある。経産省のお墨付きで権威性は上がる。だがこれは「うちはDXやっています」と認めてもらう制度で、人材を確保する手段ではない。審査に60日かかるなら、その間にもっと現場を直せる余地はあるだろう。 世間にアピールする用途と、採用基準を混同している会社が少なくない。皆が本当に知りたいのは「どうやってDXしたのか」のほうだ。 一方で、DX専門の学校や養成講座も増えている。何を学ぶのか——紙をPDFにすればデジタル、というレベルなら、Windowsのスキャン機能のほうが早い。請求書のOCRや帳簿連携は、既存のクラウドや生成AIでも実現できる。 そこで学んだ人が世間では「DXエキスパート」に見える。でも現場では、頭でっかちでソフトもハードも弱く、エンジニアと話がかみ合わない——そんなコンサルタイプになるリスクもある。体系的に「これが正解」と教えるカリキュラムと、自社に最適化するDXは、そもそも方向がずれやすい。 DX専用の資格が決定的に役立つわけでもない。重要なのは、資格の有無ではなく、アナログの現場とデジタルの手段の両方を理解しているかだ。 経営者・人事が取るべき獲得の順番 経営と人事の視点では、獲得策を「外から買う」か「中で育てる」かに分けがちだ。私は、多くの中小企業なら中で育てるほうが現実的だと思っている。 理由は単純だ。DXは自社に最適化するべきもので、教科書どおりの型が存在しない。現場を知っている人にソフト面を足すほうが、未知の業界からDX担当を迎えるより、発注も指示もしやすい。ソフトを理解していれば、SEへの依頼内容が具体化する。「どこのあれをこうしたい」が言語化できる人材は、外から採用するより社内にいることが多い。 経営者がやるべきことは、リスキリングの時間と予算を確保することだ。人事がやるべきことは、DXという肩書きではなく、業務改革に耐える人物像を要件に落とすことだ。具体的には次のような順番が現実的だろう。 現場のベテランや中堅から、業務知識があり、変化に抵抗が少ない人をリストアップする。 小さな自動化やデジタル化を任せ、成果と学習速度を見る。 外部のエンジニアと会話できる人に、発注・要件定義の役割を足していく。 全社DXの象徴役として肩書きを付けるのは、その後でも遅くない。 外注や採用は、地図が描けてからのほうが失敗が少ない。「DX経験3年以上」だけ書いた求人票は、ミスマッチの温床になりやすい。 見極めるポイント——肩書きより会話で確認する 面接や社内登用の場で、私が重視するのは次の4点だ。 「うちのDXで何が変わるか」を30秒で言えるか。抽象論だけなら、推進役にはなれない。 アナログ現場の制約を尊重しているか。「全部クラウドで」だけの人は危ない。登り釜の例のように、ハードと慣習の壁を知っているか。 エンジニアと対話できるか。ソフトの話がかみ合わない時点で、実装フェーズで止まる。完璧な技術力は不要だが、要件を構造化して渡せるかは必須に近い。 自動化と人の役割を切り分けているか。「AIですべて」は設計ではない。何を人が見るかまで言える人を選びたい。 逆に、DXファシリテーターかオペレーターかといったラベルにこだわる必要はない。ファシリテーションが得意なら会議設計、オペレーションが得意なら現場導入——役割は分かれる。大事なのは、ラベルではなく、自社の実装要因にフィットするかどうかだ。 まとめ:地図が先、人材は後 DX人材不足の多くは、本当は人不足ではなく、何をDXするかの地図不足だと私は考えている。担当者が機械と人の境界を決め、経営が育成の時間を確保し、人事が肩書きではなく会話で見極める——この順番が守れれば、資格や専門学校に振り回されることは減るはずだ。 あなたの会社では、DXの地図はもう描けているだろうか。まだなら、求人票を書く前に、登り釜の前に立つ時間から始めても遅くないと思う。

世界にひとつしかないのに、オークションで驚くほど盛り上がらないもの

世界にひとつしかないのに、オークションで驚くほど盛り上がらないもの

私のサインをオークションに出したら、たぶん誰も手を挙げない。 世界で重複しない筆跡ではある。ただ無名で、何も成し遂げていないから、価値はゼロに近いはずだ。需要があるとすれば、犯罪者が勝手に使う方向くらい——それは「欲しい」のではなく「騙せる」の市場だ。 一方で、世界にひとつだけの花が見つかったと聞けば、話は別になる。枯れても押し花にすれば残る。科学者の名前がつき、メディアが物語を載せる。同じ「唯一無二」なのに、なぜここまで格差がつくのか。 世界にひとつしかないのに、オークションで驚くほど盛り上がらないものは、存在するのだろうか。ふとそう考えた。高額落札とゼロ入札を並べて、条件だけ整理してみる。 高値がつく「世界に一つ」には何があるか オークションで天文学的な額がついたものを並べてみる。 レオナルド・ダ・ヴィンチの「サルヴァトール・ムンディ」は約4億5000万ドル。カニエ・ウェストが履いたナイキの試作品スニーカーは約180万ドル。ピンクスターと呼ばれるダイヤモンドも、同じく億単位の世界だ。 共通しているのは、希少であること以上の条件だ。 誰が所有していたか(来歴)が証明できる。文化の中で「持っていること」に意味がある。第三者が検証でき、法的手続きで譲渡できる。そして何より、入札する側が複数いる。 世界に一つだけの花も、同じ構造に乗れば高値になる。科学者の名前がつく。メディアが物語を作る。植物学会が保管する。希少性だけでなく、「誰の目にどう映るか」がセットになっているわけだ。 希少性だけでは鳴らない サインと花の差は、もう見えている。花が高値になるのは希少だからではなく、欲しがる観客が複数いて、物語と検証と譲渡の仕組みが揃っているからだ。 ということは、だよ。唯一無二でも、市場の外にあるものには値段は生まれない。希少性は必要条件にすぎない。 価値がほぼゼロに近い「世界に一つ」 逆に、オークションで盛り上がらない——いや、そもそも売れない——唯一無二のものを考えてみる。 昨日の午後3時47分に、あなただけが思い浮かべたひと言。机の上の埃が、今この瞬間だけ形成している模様。溶けてしまった雪片の結晶。夢の内容そのもの。 いずれも、世界で二度と再現できない。だが譲渡できない。第三者が検証できない。文化の中に「持っている」というステータスがない。保管しても、他人にとっては意味がない。 早い話、市場に出せないものには、いくら唯一でも値段がつかない。 まとめ:唯一でも足りない 世界にひとつしかないもののなかで、驚くほど高値がつくものと、まったく値が生まれないものがある。 違いは希少性だけじゃない。誰が欲しがり、どんな物語で語られ、安全に手渡せるか——その三点が揃ったときだけ、オークションの鐘が鳴る。 私のサインは今のところ鳴らないだろう。それでも、世界唯一の花が枯れたあと押し花に残る価値と、昨日思いついた一言が消える価値は、同じ尺度では測れない。測れないからこそ、オークションは一部のものだけを選び取るのではないだろうか。

TVや新聞が面白くないと感じる理由

TVや新聞が面白くないと感じる理由

TVをつけても、新聞をめくっても、「面白い」とは思えないことがある。 ニュース速報、政治討論、事故現場の映像——情報は届く。けれど、私の生活はほとんど変わらない。 あなたはどうだろう。TVや新聞、まだ面白いと感じる派? それとも「情報ツール」として使う派? 私は後者に近い。面白さが必要なのかどうか、ずっと考えている。 面白いってなんだろう 面白いってなんだろう。 面白いと感じるのは人それぞれの自由ではないだろうか。 政治の話題は金になるからって、煽動したりして、注目を浴びる。それを面白いと思っているのだろうか。面白いと感じているかもしれないけど、どちらかといえば、興味がある人が多いか少ないか。 TVや新聞に面白さは必要だろうか TVや新聞に面白さは必要だろうか。 ニュースに面白さは必要ないが、正確性は欲しい。新聞も同じことがいえるし、面白いとは思わないけど、情報を効率的に摂取できるツールみたいなものだと思っている。 ニュースもみんな気づいているのではないだろうか。 それを知ったところで、私の生活に大きく影響はしないだろう、と。 戦争紛争で物価高は確かに影響こそする。でも生活を脅かすほどじゃない。 メディアはそれを伝えることで、何を我々にしろといっているのだろうかと勘繰ってしまう。なぜなら、注目を浴びなければ、スポンサーがつかなければ、営業を続けることが難しいからだ。 「報道の公平性」ってなんだろう 「報道の公平性」ってなんだろうね。 ニュース提供側としてはそのままを伝えているつもりだろうけど、政治の話はなぜか専門家なりコメンテーターがいて、意見を聞くのはなぜだ?あえて批判的な意見から入るのはなぜだ?と感じることもしばしば。 派閥とか集団意識なりのなわばり争いなんか、憶測で話をしやすいから、多少誇張したほうが注目をあびる。アテンションエコノミーに気をつけてとか、スマホのメールフィッシングに気をつけてとか、もっともらしいことをいっているが、TVや新聞はそこでここまで稼いできたのではないだろうか。 遠くの出来事と、知ったところで 節税は悪いこととかいうけど、寄付だって節税対策のひとつなんだから、そこをあえて隠すような報道はばからしい。どこかの金持ちが処理に困っている時に、寄付という節税を知ることで助かる人だっているのではないだろうか。 交通事故があればそこに赴いて写真を撮るとか、事故現場を写したところで、影響が出ているのはそこを通る人たちくらいだ。遠くはなれている人にとって事故とか火事は、知ったところでどう反応したらいいのと思う人だっているだろう。 まとめ:面白い必要あるか 面白さと正確性は、同じ土俵に乗せられがちだ。私はニュースに面白さは要らない。要るのは、生活にどう効くかを自分で判断するための材料だ。 「おもしろい必要があるか?」——答えはまだ出ていない。でも、面白くないから見ない、ではなく、面白くないからこそ別の使い方を探す、という方向には向かっている。

子育て女性のリスキリング━━制度の外にいる人が忘れがちなこと

子育て女性のリスキリング━━制度の外にいる人が忘れがちなこと

「政府や企業が『リスキリング(学び直し)』の旗を振っているが、その主役はキャリアを積んだ会社員ばかりではない」 朝日新聞の報道では、出産や育児でいったん離職した女性の間でも関心が高まっている、と書かれている。3児を育てながらウェブ制作の仕事を始めた秋谷みず帆さん(33)は、家事と育児の合間に1日あたり約9時間の作業時間を確保し、「仕事が初めて楽しいと思えるようになった」と語る。 私はこの記事を読んで、制度の話と個人の話がごちゃ混ぜになりがちだ、と感じた。 あなたはどうだろう。「リスキリング」と聞いて、会社の研修制度を思い浮かべる派? それとも、自分でスクールに通って学び直すイメージが先に来る派? 私は後者に近い。だからこそ、旗の下にいる人と、その外にいる人では、必要な準備が違うのではないか、と考えた。 なぜ今、キャリア中断後の学び直しが必要なのか リスキリングが話題になる背景には、構造的な理由がある。 雇用の流動化、在宅勤務の普及、ITスキルの需要拡大━━どれも「一度身につけた職種を、そのまま定年まで続けられる」前提を揺らしている。出産・育児・介護で離職した人にとっては、ブランクそのものが不利になるだけでなく、復帰先の選択肢が狭いという問題も重なる。 朝日新聞の記事でも、秋谷さんは専業主婦として8年間過ごしたあと、在宅でできるスキルを求めてウェブ制作のオンラインスクールに出会った、と書かれている。IT分野が注目されるのは、場所と時間をある程度自分で設計できるからだ。これは子育て中の人にとって、現実的な選択肢になりうる。 ただ、報道が伝えるのは「道は開ける」という希望の側面だけではない。見出しに「根性は必要だが」とあるように、制度が用意してくれるわけではない領域が、ちゃんと存在する。 リスキリングの制度は、誰のためのものか 世の中で「リスキリング」と言われるとき、多くは企業所属の社員が会社の指示でスキルアップする、という絵が先に浮かぶ。経済産業省のリスキリング事業、厚生労働省の求職者支援訓練、企業の教育手当━━こうした制度には、補助金や助成金がつく。 一方で、一度キャリアから外れた主婦・主夫、非正規から離職した人、フリーランス志望の未経験者は、その枠に入りにくいことが多い。会社が申請の窓口にならない。在籍証明がない。訓練の日程が保育園の送迎と噛み合わない。 学び直しそのものは誰にでも可能だ。でも「制度としてのリスキリング」と「個人でやる学び直し」は、費用もリスクも負担の置き場所も違う。ここを混同すると、「国が推進しているから、なんとかなるだろう」という誤解が生まれる。 学び直しに、個人の努力は不可欠 秋谷さんの1日約9時間という数字は、制度の話を聞いているだけでは想像しにくい。 朝、子どもを送り出してから迎えまで。夜、寝かしつけたあと。━━隙間時間の積み上げだ。在宅だから楽、というわけではない。むしろ、仕事と育児の境界が溶けるほど、自己管理の負荷は上がる。 リスキリングを成功談として読むと、「オンラインスクールに入れば変われる」ように見える。実際には、動画を見て終わりではない。課題を提出し、クライアントワークに近い形で成果物を作り、フィードバックを受けて直す━━このサイクルを自分で回す必要がある。 スクールは地図を渡してくれる。歩くのは本人だ。補助金がつく訓練であっても、結局は同じだと思う。 目標がなければ、効率よく学べない ここが、私が一番伝えたいところだ。 「ITスキルを身につけたい」「在宅で働きたい」は、動機としては十分でも、学習の目標としては粗すぎる。何のために、いつまでに、どの水準まで、を決めていないと、カリキュラムのどこに力を入れるべきかわからない。 ウェブ制作を例にすると、方向はいくつもある。コーディング寄りか、デザイン寄りか。WordPressでサイトを納品できるようになるのか、Shopifyの構築までやるのか。フリーランスとして単価3万円の案件を月2本こなすのか、正社員のポートフォリオを揃えて転職するのか。 目標が違えば、必要な学習時間も、作るべき成果物も、証明すべきものも変わる。 企業が採用や発注を判断するとき、履歴書の「意欲」だけでは足りない。わかりやすいのは成果物か資格だ。主婦・主夫がキャリアの外から返り咲くなら、制度の枠に入れなくても、この2つを自分で用意する必要がある、というのが現実だろう。 目標を「3ヶ月後に架空クライアント向けのLPを1本納品できる」くらいまで落とし込めば、毎週何を勉強するかが決まる。逆に目標が曖昧なままだと、動画視聴だけで満足してしまう。時間は使ったのに、証明できるものがない━━これがいちばんもったいない。 まとめ:旗の下と外側 リスキリングの必要性は、朝日新聞の報道が示すとおり、キャリア中断後の女性にも及んでいる。在宅と相性のいいIT分野に注目が集まるのも、納得できる流れだ。 ただ、制度の旗の下にいる人と、外にいる人では勝ち筋が違う。学び直しは個人の努力が半分を占めるし、目標がなければ効率よく進めない。私は、スクールを選ぶ前に「何をもって終わりとするか」を紙に書くところから始めるのがよい、と思っている。

ニンダイの同時接続から考えるYouTubeの視聴率的なもの

ニンダイの同時接続から考えるYouTubeの視聴率的なもの

「Nintendo Direct 2026.6.9」——任天堂公式YouTubeチャンネルだけで、ピーク時の同時接続が約174万人に達した。 世界的な新作発表会だから期待は高い。でも、YouTubeの登録者数やユーザー総数から見ると、これはどれくらいの割合なんだろう。 あなたはどうだろう。ライブの同接数、気になる派? それとも総再生回数のほうを見る派? 私は前者だ。テレビの視聴率に近い感覚で読めそうだと思った。そこから、数字を並べてみることにした。 ニンダイの同時接続、どれくらいの規模か 2026年6月9日に配信された「Nintendo Direct 2026.6.9」は、任天堂公式YouTubeチャンネル(Nintendo 公式チャンネル)における最大同時接続が約174万1,440人だった(UserLocal の集計値)。 これは任天堂ダイレクト史上のトップではない。 日本記録認定協会が認定したYouTubeライブ日本最大同時接続は、2025年4月2日の「Nintendo Direct: Nintendo Switch 2」配信の329万人。2025年9月12日のニンダイは任天堂公式チャンネル単体で約151万人、全プラットフォーム合計では約292万人に達した。 それでも174万人は、企業の単一チャンネル・単一配信としては異常な数字だ。Appleの製品発表会が数百万規模に届くこともあるが、ゲーム業界の定期ショーケースとしては世界屈指の部類に入る。 YouTubeのユーザー数を押さえておく 同接を「割合」に換算するには、分母の選び方が問題になる。まず全世界のベースラインを整理しておく。指標 ユーザー数(世界全体) 補足MAU(月間アクティブユーザー) 約25.8億〜27.0億人 ログインユーザーを中心としたベース広告リーチ可能人数 約33.5億人 未ログイン視聴も含むリーチDAU(日間アクティブユーザー) 約1.22億〜13.4億人 測定定義で大きく変動する有料会員(Premium / Music) 約1.25億人 広告非表示・バックグラウンド再生DAUについては、調査機関の定義によって2つの数字が並行して出回っている。アプリ等への能動的ログインベース(約1.22億人)——毎日確実にログインしてアクションを起こすコア層の数字。 Webブラウザ・スマートTV等を含む総アクティビティベース(約13.4億人)——ログインの有無を問わず、何らかの形でYouTubeに触れた人を含む推計。日本国内では、Googleが2024年5月時点で18歳以上の月間視聴者数7,370万人超を公表している(Nielsen Digital Content Ratings ベース)。18歳未満は含まれないので、実態はこれより大きい可能性がある。 同接を「視聴率」に換算すると YouTube Liveの同時接続は、その瞬間にライブを見ている人数だ。テレビの視聴率が「今この番組を見ている世帯(または個人)の割合」であるのと、構造はかなり近い。 ニンダイ約174万人を、いくつかの分母に当てはめてみる。分母 割合(概算) 読み方世界MAU 約26億人 約0.07% 月に一度でもYouTubeを使う人のうち、同時にニンダイを見ていた世界DAU(コア)約1.22億人 約1.4% 毎日ログインする層のうち約70人に1人世界DAU(総合)約13.4億人 約0.13% ブラウザ・TV視聴も含めた日次利用者ベース日本YouTube MAU 約7,370万人 約2.4% 国内の月間視聴者(18歳以上)のうち約40人に1人日本の総人口 約1.25億人 約1.4% 国民全体のうち約70人に1人早い話、「全世界のYouTubeユーザーから見れば微々たる数字」でも、「日本のYouTube視聴者から見れば2%台」になるわけだ。 分母をどう取るかで印象が180度変わる。テレビの視聴率も、関東地区か全国か、世帯か個人かで数字は揺れる。同接も同じで、単一チャンネルか全ミラー配信合算かで読み方が変わる。 テレビの視聴率と比べると 一昔前の地上波黄金期には、人気番組で視聴率20%超えは珍しくなかった。 今は年末年始の特番に限られ、紅白歌合戦第2部が35%前後、箱根駅伝復路が30%前後——それでも「国民的イベント」に限った話だ。平日のゴールデン帯で10%を超える番組は、もはや希少種に近い。 テレビの視聴率は、テレビが設置された世帯を母集団にした推計だ。正確な「全人口の何%」ではない。 それでも「数%見ている」とわかれば、日本の人口1億2500万人規模で600万人クラスのリーチだと感覚を掴める。 ニンダイの174万人は、日本の総人口ベースで約1.4%。テレビで言えば世帯視聴率1%台後半くらいのイメージに相当する。 ただし、これは任天堂公式チャンネル単体の数字だ。配信者による同時視聴枠や海外公式チャンネルを足せば、もっと膨らむ。 個人的には、YouTube同接は「その瞬間に画面を開いている人」のカウントだから、テレビのリアルタイム視聴率に一番近い指標だと思っている。総再生回数は後からアーカイブで伸びるので、ライブの熱量とは別物だ。 YouTube Liveの同接記録はどのくらいか 世界記録として広く引用されるのは、2023年8月23日のインド宇宙研究機関(ISRO)による月着陸ライブ配信の約809万人。 次点は2022年ワールドカップのブラジル対クロアチアを中継したCazéTVの約610万人、2026年のTPUSAハーフタイムショーの約617万人など、スポーツ中継と大型イベントが上位を占める。 日本国内の認定記録は、先述の任天堂「Switch 2」発表ニンダイの329万人。ゲーム系では、Apple Event(2024年9月)が約350万〜360万人、スペースXの有人飛行ライブが約400万人といった企業・科学系イベントが並ぶ。 個人配信者では、IShowSpeedが2026年5月に約192万人の同接を記録したと話題になったが、本人とYouTube側の確認でボット視聴が混入していたことが判明し、実際のピークは約30万人だった。同接の信頼性は、記録更新のニュースだけでは判断できない——これは後述する。 ニンダイ2026.6.9の174万人は、世界トップ10には遠く及ばない。それでも日本の単一企業チャンネル・ゲーム発表会としては、十分に「大きな数字」だ。 同接数はどうやって数えているのか YouTubeのヘルプセンターでは、同時接続(Concurrent viewers)を「ある瞬間に同時に視聴している視聴者の数」と定義している。ピーク同時接続は、配信中に記録された最大値だ。 仕組みとして押さえておきたいのは次の点だ。カウント対象はその配信を実際に再生しているセッション。ログインの有無は問わない(未ログインのブラウザ視聴も含まれる)。 低品質な再生やボット疑いのトラフィックは、システムが検証のうえ除外されることがある。指標が一時的に止まったり、後から修正されたりするのはこのためだ。 配信終了後、クリエイターはYouTube Analyticsでピーク同時接続を確認できる。APIでも配信中のみリアルタイム取得が可能だ。 複数デバイスやタブを開いている場合の扱いは公開されていないが、明らかな不正トラフィックはフィルタされる。つまり同接は「今見ている人」のリアルタイム推計で、完全な国勢調査ではない。テレビの視聴率と同じく、信頼できる近似値として使うのが妥当だろう。 まとめ:分母で変わる174万 ニンダイの約174万人は、世界のYouTube MAUから見れば0.07%程度。日本のYouTube視聴者から見れば約2.4%。テレビの視聴率に置き換えるなら、日本総人口ベースで1%台後半——「その瞬間に同じ画面を見ていた人」の規模だ。 同接はテレビのリアルタイム視聴率に最も近い指標だと私は考えている。ただし分母の取り方と、単一チャンネルか合算かで印象は大きく変わる。数字を見るときは、まず「誰の、何%か」を確認するのが先だろうなと思っている。

コンビニの人件費削減ほど悪手は無くないか?

コンビニの人件費削減ほど悪手は無くないか?

「コンビニ、ワンオペで回せるようにする」 「人件費を削れば、経営は立て直せる」 ——ニュースを読むと、こういう論理がよく出てくる。私はだいたい「本当に現場を知って言ってるのかな」と眉をひそめて、記事を閉じることが多い。 あなたはどうだろう。人件費削減、経営の王道だと思う派? それとも「現場が回らないだけでは」と疑う派? 私は後者に近い。コンビニのワンオペや24時間営業を、数字だけで語る前に一度立ち止まってみた。 コンビニでワンオペをする意義はあるかどうか問題 経営難を解決する場合、もっとも楽な方法は「人件費削減」。それも、ある程度の能力を持っていて給料もわりと高めな有能タイプな従業員ほど、切る効果は高い。シンプルに支出を減らす策として有効なので、コンサルに大人気の手法である。 じゃあ残された人間は給料が上がるのか?っていう話し。 人員を削減したのなら、今まで支払っていた人件費の再分配して、基本給の見直しをするのが「やる気重視」のうえなら最前な手法だと考える。しかし現実はどうじゃない。削減した人件費は据え置いて、営業利益に消えた人員に支払っていた給料がのせられるだけだ。 悪くも経営が下手くそというか、数字だけ見ている経営でやりがちな手法。 人員を削減したらまず、効率化とか生産性の話しになるけど、サラブレッドでも1馬力であるように、1人の人間は1人力でしかない。1億を役員報酬でもらっている上層部の20%カットして浮いた分を人員に回したほうが、よっぽど有意義といっていい。 従業員は替えが効くと思われがちだが、経営層にしても替えは効く。 コンビニの24時間営業はやるべきかどうか コンビニの採算性を考えるなら、客商売らしく客単価を気にするべきだろう。 あなたは深夜のコンビニに行ったことはあるだろうか。そこに客は平日の昼間ほど居ただろうか。きっと店員が1人で補充をいているとか、バックヤードに居るみたいだけどなぜか出てこないなどの体験をした人もいるかもしれない。 コンビニは客商売だからこそ、客が来て何か買ってもらう必要がある。 深夜の客はどれだけ来て、どれだけのものを買っていくのだろうか。深夜になると「深夜手当」も出さないといけないため、日中よりも客がこないのに、日中よりも客単価を上げる必要性がある。社会インフラとしての需要を考えるとありがたい話しだけど、商売と経営で考えると、これほど損することはないと思う。 まとめ:現場を見てから数字を語れ ワンオペの議論は、経営会議の資料だけで進めがちだ。私は、幹部がまずレジと品出しを体験してから削減を語るべきだと思っている。人件費は減る。でも客単価と現場の限界は、スプレッドシートには載らない。

「◯冊の本を読め!」みたいなタイトルが有益な理由

「◯冊の本を読め!」みたいなタイトルが有益な理由

「この本を読めば人生が変わる」 「売れている本トップ10だけ読め」 ——キャッチーなタイトルを見ると、つい大げさだと感じることがある。私はだいたい「また煽りか」と眉をひそめて、クリックしないで終わる。 あなたはどうだろう。大げさなタイトル、スルーする派? それとも「気になるから読む」派? 私は以前は前者だった。 でも最近、その派手さの裏側に、読者とライターが交換しているものがあるのではないか、と考えるようになった。 相手は時間を金にかえている 例えば「レシピ本」を書店で探すとする。 特に目的もなく、あてもない場合、表紙なりタイトルできたものを手に取るわけ。この選んでいる時間、思考が産まれる時間は人によって「無駄な時間」と受け取るかもしれない。タイパというならもっとも無縁な時間だろう。 要約とかまとめのコンテンツが人気な理由は、本質的に「タイパの具現化」がある。 「10冊選び抜いた」といえば、ライターが100冊の中から厳選した10冊かもしれないし、Amazonの書籍カテゴリから人気でソートした10冊かもしれないし、いくつかのアンケートだったりSNSで「これいいよ」を集めたものかもしれない。 何にせよ、そういった「まとめ作業」に時間を使うわけ。 でもユーザーは、その時間を自分で浪費することなく、該当ジャンルにとってベストな数冊を任意で選べる。ようは「失敗しにくい」のが最大の利点。利点を可視化するなら、それこそがキャッチーなタイトルの正体だ。 まとめ記事は「他人の労力」を買う行為 リスト型の記事や、強い断言を含むタイトルは、読者にこう伝えている。あなたが100冊読んで絞り込む代わりに、私がやった。結果だけ受け取って。これは情報の無料配布というより、選別コストの代行に近い。レシピ本の例でも、棚の前で何冊も開いて比較する作業を、誰かが先に済ませてくれている状態だ。 だから「◯冊の本を読め」系のタイトルは、内容の良し悪し以前に、意思決定の短縮という商品を売っている。 本を1冊買うより安いし、読む前に失敗しにくい——この安心感が、キャッチーな言い回しとセットで伝わる。 キャッチーなタイトルが機能する3つの条件 私が「有益だ」と感じるリスト記事には、だいたい次の共通点がある。選び方が想像できる — 売上順なのか、自分の体験なのか、専門家の推薦なのか。基準が見えないと「誰かの好み」で終わる。 対象読者がはっきりしている — 「初心者向け」「転職前に読む」「子育て中の親向け」など、自分ごと化しやすい。 数が絞られている — 10冊でも多いと感じる人はいるが、「全部読め」より「この数だけ」は圧が小さい。逆に、根拠が曖昧で誰向けかわからない「人生が変わる本ベスト30」は、タイトルだけ派手で中身が薄いケースが多い。 キャッチーさと有益さは、必ずしもセットではない。 読み手としての向き合い方 リスト記事を鵜呑みにする必要はない。ただ、最初の1冊を選ぶときの補助輪として使う価値は大きい。 私のやり方はシンプルで、次の流れだ。気になったリストから2〜3冊だけピックアップする 図書館や試し読みで中身を確認する 刺さった1冊だけ買うこうすると、ライターが代行してくれた「選別時間」を借りつつ、最終判断は自分でできる。 まとめ:選ぶ時間を買っている 「◯冊の本を読め!」のようなタイトルが有益なのは、大げさだからではない。読者が本当に欲しいのは、失敗しにくい短いリストと、選ぶ時間の節約だからだ。 次にそういう記事を見かけたら、中身を疑う前に「この人は何時間かけて絞ったのか」を想像してみると、タイトルの意味が少し違って見えるかもしれない。

東京に学部が集中している理由と、地方の可能性

東京に学部が集中している理由と、地方の可能性

「地方から東京に出て、後悔した」 「でも進学先を考えると、結局東京しかなかった」 ——SNSでこういう声を見かけるたび、私は「便利だから」という説明だけでは足りないのではないか、と感じる。学部の数、教授の所在、就職のフィルター——選択肢の差が、合理的な判断を形作っている。 あなたはどうだろう。進学や就職で場所を選ぶとき、「その街の暮らしやすさ」と「学べる環境の幅」、どちらを優先する派? 私は後者が勝ちやすい構造だと考えている。まずは東京集中の理由を、学部という切り口から整理してみたい。 東京が「便利」という一言では片付かない 東京圏(23区から千葉・埼玉・神奈川)への集中は、単に「便利だから」では説明できません。30分程度の移動で済む距離に高密度な大学が存在するため、「◯◯大学出身」というブランドを望むなら、東京しか選択肢がないのが現状です。 地方出身の若者が東京に集まる流れは変わりません。就職でも進学でも、有名大学という「フィルター」が評価を左右するからです。 地方が劣っているわけではない では地方に魅力がないかといえば、そうではありません。むしろ問題は別のところにあります。 地方の課題は「学部の選択肢の狭さ」です。「◯◯を学びたい」という明確な目的がある学生なら、その学部が充実している大学がどこにあるかで判断します。同じく、「この教授に師事したい」という思いがあれば、その教授がいる大学へ向かいます。 東京の大学の強みは、学部の多様性にあります。同じ東京なら、勉学の目的別に大学を自由に選べるのです。一方、地方では学部が限定的なため、目的と学べる環境がマッチしにくい。その結果、進学を理由に東京を選ぶ。悪循環です。 東京移住の現実 ただし、地方から東京に出てきた若者全員が適応できるわけではありません。 通学ラッシュの混雑、1コマ目の授業時間帯の絶望的な混み具合、車移動の困難さ。高い家賃を補うためのアルバイト。これらの生活コストと心労は、想像以上に大きいのです。 実際のところ、東京での生活に向いている人のタイプがあります。音に敏感でなく、他人に興味がない——割り切った性格の人ほど、東京での生活は楽になります。あこがれだけで東京に来ると、後悔することになりかねません。 改善のために必要なこと 東京一極集中を解決するには、単に大学を地方に置くだけでは不十分です。重要なのは、その地域で必要な学部を充実させることです。 地方に東京大学やMARCHのような「圧倒的ブランド大学」を作るのは現実的ではありません。ただ、地域の産業や人口に合わせて、学部の選択肢を広げることは可能です。 そこから先は、地方の大学そのものの発信力と、企業側の評価の切り分けです。「ブランド」に頼らず、実務的なスキルと再現性を評価する採用基準が整えば、地方大学の価値が高まります。 まとめ:選択肢の差が動く 東京一極集中の背景には、単なる「魅力度」ではなく、人生設計の選択肢の差があります。学部の多様性、環境への適応性、そして親元を離れることのコストと利益。これらを踏まえたとき、若者の「東京選択」は合理的な判断なのです。 改善するには、地方の高等教育機関が、東京との「差」を埋めるのではなく、独自の強みを作ることが鍵になるのではないでしょうか。

AIと一緒に考えるには、最初の一歩が必要

AIと一緒に考えるには、最初の一歩が必要

「AIに聞いたら、すぐ実行した」 「結果、思っていたのと全然違った——でも誰のせいにすればいい?」 ——チャット型AIが当たり前になった今、私はこういう後悔をよく見る。AIの性能の問題ではなく、最初の一歩を誰が踏むかが曖昧なまま進んでいるケースが多い。 あなたはどうだろう。AIの回答を「正解」として受け取る派? それとも「たたき台」として自分の判断と照合する派? 私は後者でないと、「共に考える」にはならないと感じている。なぜそう言えるのか、順を追って整理する。 AIと共に、考える 私はAIと一緒に考えているのだろうか。 何かを考えて、指示をして、出てきた情報を鵜呑みにして、失敗している。失敗とまではいかないけど、あきらかに何かが足りていない。足りてないのは何だろうか。 AIの性能ではなく、私にそれが実現できるかどうか、だ。 AIの答えを信じるのではなく、私の意見を鵜呑みにしないことも考慮するべきだ。 「共に、考える」 チャット型AIが登場してから、人間の思考はより洗練されたのだろうか。私はそう思っていない。AIが出している回答は「計算からいくつかの選択を"私好みで"拾い上げている」にすぎない。 AIの答えが正しいと思うか、正しくないと思うか。これは可能性の問題である。 成功するかしないかも、可能性の問題。しかし、やらなければ成功率はゼロになる。 AIよりもあなたのほうが賢い AIよりも人間の方がまだ賢い。分野にもよるけど、最初の質問を出すのは人間で、回答を出すならAIが得意だ。これはググると同じような構造。 コンピューターが不得意なのは、ゼロから行動すること。 ようするに、デキる人間が苦手な「自分で仕事を探せない人」と同じである。 AIやプログラムは、指示されたことを愚直なまでに遂行する。それは性質の問題であるから変えようがない。自動車製造でコンベアなりゆったり動いているうちに、作業員がひとつひとつ仕事をして1台を完成させていく工程がある。プログラムは工程と作業をすべて理解してはいるが、コンベアを動かすなり人員配置をするのは管理する人間の役目。 例えコンベアをボタンひとつで動かせるとしても、プログラムはそう指示をしていないと、自律的に判断して動かしてはくれない。24時間稼働なら3交代になるだろうけど、交代するタイミングで人の作業はどうしても止まるから、そこでラインを止める必要がある。 引継ぎをして、準備して、コンベアを動かす。その指示を出すのがプログラムだったら、それはそれで人間様が反発するのではないかなと思う。 そう……。3交代制なら「この時間にコンベアを止めて、この時間には動かすべきだ!」とプログラムすることは簡単。でも人間とか世界は不条理なことが多い。必ずそのスケジュール通りに物事が進むとは限らない。だから目視で確認してから開始のスイッチを押すのがただしい。もしいるはずの人がいなかったら?必要な材料が最初の1時間で無くなるとしたら?作業を中断したとして、次の交代で数分後には自動で実行されてしまうぞ。 てなわけで、機械の弱点は「融通が利かない」ことが最大の弱点。 柔軟に行動することができるのは人間の特権であるともいえる。もちろん万人がそうとも限らないけれど、我々は自分の意思で道を選ぶことができる。 AIもプログラム・アルゴリズムでは"そう見える"んだけど、本質的には人間よりも判断能力は劣っている。人間に思い付かない判断をプログラムすることはできない。ここが大きな違いであるといえる。 計画は人間から始まる 何事も「成功」するには「計画」する必要がある。計画をするにしても、AIがゼロから考えてくれるわけじゃない。最初の一歩は私から出す必要がある。 AIに渡すべきなのは、完成した答えではなく、検証可能な仮説だ。「こういう方向で進めたい。反論と代替案を出してほしい」——この段階で初めて、AIは思考の相棒として機能する。 まとめ:最初の一歩は人間 AIと一緒に考えるとは、答えを委ねることではない。自分の問いを立て、AIの出力を疑い、最終判断は自分で下す——そのサイクルのことだ。 最初の一歩を踏むのは、いつだって人間側。そこを省略すると、どれだけ高性能なAIを使っても、「共に考えた」実感は残らない。