「この研究に何の意味があるんですか」——いじめか、それとも問いかけか

「この研究に何の意味があるんですか」——いじめか、それとも問いかけか

「この研究に何の意味があるんですか?」

研究結果の報告や発表の場で、指導教員からこう聞かれた経験がある人は少なくないだろう。アカデミックスキルズでもこの議題が取り上げられていて、私はかなり興味深いと感じた。

あなたはどうだろう。この問いかけ、いじめだと感じる派? それとも「当然の確認」だと受け取る派?

私は最初、両方の説明が筋が通ると思った。でも整理していくうちに、問いそのものより聞き方と前提の共有のほうが本質的な論点だと感じるようになった。

いじめと受け取られる問いかけ

「この研究に何の意味があるんですか?」

この問いかけを「先生によるいじめ」と受け取る生徒が多いといわれる。

それに対する反論として、先生側には「なぜこのデータ(研究)をしたのか━━に根源的な理由をつけて説明してほしい」という裏側がある。じゃあ最初からそういえよ、って話にもなる。

文脈の裏側を会話しながら探るのは、そういう席では重要になる。研究結果の報告で、この質問は意地悪に受け取る人もいれば、想定された質問なので流暢に答える人もいるだろう。

てことは、この質問をいじめだと受け取るのは、研究する意味を深く考えていない場合に該当するのではないかと考える。確固たる意思があるなら「なぜやった?」に対しての反論は出てくるはず。その裁量を引き出すためのパスであると、私は理解した。

パワハラに感じる受け取り手もいる

理解したんだけど、受け取り手によってはパワハラに感じるのは確か。

あえて意地悪な言い方で”そう質問する”タイプだっているはず。生徒を伸ばす意味ではなく、ただの嫌がらせでそういった質問をする人は、企業面接だってある。「なぜ当社を選んだ?」が代表的だろう。

こういった質問に回答するためには、理由に意味を持たせないといけない。急ごしらえの「とりあえず」「適当で……」では、研究者としての命題が立たない。問いに耐えられないのは、言い方の問題だけではない。

オナラの色から見る「理由」の重さ

たとえば「オナラに色はあるんだろうか」という議題でも、色がないにしてもアニメや漫画で色をつけるのはなぜか、という問いにはちゃんと理由がある。

視聴者の視認性を優先していること。黄色はクソを連想するから、あきらかに臭そうだと視覚で認識できる——みたいな。

くだけた例だが、ポイントは同じだ。表面的な現象に対して、なぜそうなっているのかを言語化できるかどうか。研究の報告も、データの提示も、結局はそこに帰着する。

理由をあまり深く考えず、とりあえず・適当で……など、急ごしらえで研究者としての命題がないと、こういった質問に対処できない。

文脈の裏側を知れ、はもう古い

意地悪な質問だが、裏側を知ると「なるほどな」と納得した。

でも、あえていわせてもらいたい。なら、理由から聞けよ。その方が早いだろと。

「文脈の裏側を知れ」みたいな感じは、戦国時代くらいでいいんだよと。序列の意図とか、上座と下座の配置に階級があるからあえて後ろに座らせて怒らせるとかさ。回りくどいコミュニケーションをしてパワハラといわれているんだから、単刀直入にいったほうが早くね?と思うわけだ。

研究指導も面接も、本当に知りたいのは「なぜやったのか」「何のためにやるのか」だ。それを遠回しに聞く文化が、受け手の防衛反応を強めている面はあるのではないだろうか。

まとめ:理由から聞けばいい

「この研究に何の意味があるんですか」は、悪意のある言葉にも、裁量を引き出すための問いにもなりうる。

私が言いたいのは、問いの善悪より、最初から理由を聞けばいいということだ。先生側も「面白いね」「つまんね」くらいの率直さで、なぜこの研究をしたのかを先に聞いたほうが、双方にとって建設的なはずだ。

回りくどい序列のコミュニケーションは、もう卒業していい時代なのではないかと、私は思っている。