GCAOで組むプロンプトの基本
「この資料、なんかしっくりこない」 「AIに書かせたはずなのに、自分の言いたいことが出てこない」 ——生成AIを使い始めた頃、私はよくこう感じた。指示は出しているのに、返ってくる文章が他人の意見のままで、自分の判断が乗っていない。 あなたはどうだろう。プロンプトは毎回その場で考える派? それとも、型を決めておいて再利用する派? 私は後者に寄せている。出力に自分の意思を取り込むには、プロンプトでルール作りをしておくのが近道だと思っている。今回は、その型のひとつである「GCAO」について整理する。 プロンプトに「理論」を入れる理由 生成AIのプロンプトには、ときどき理論を入れると効く。 LLMには世の中の大抵のことが学習データとして残っている。「A理論」みたいに、書籍やフレームワークとして流通している考え方を名前で渡すと、その枠組みの中で推論してくれる。答えの方向をコントロールしやすくなるわけだ。 GCAOも、その理論のひとつだ。議題(アジェンダ)があるなら、Goal・Context・Action・Output Formatの4つを意識したほうが、AIも迷いにくい。 GCAOとは? GCAOは、プロンプトを4つの要素に分けて考えるフレームワークだ。Goal — 何を達成したいか Context — どんな前提・背景で考えるか Action — 具体的に何を実行するか Output Format — どんな形式で返すか順番に見ていく。 Goal:目標を言語化する Gは「目標をどこに設定するか、何をしたいのか」だ。 ここが一番ブレやすい。質問する側が、自分でも言語化しきれていないことが多い。だからこそ、プロンプトに「まず私の目的を確認してから答えて」と書いておく手もある。AIに質問を促させて、思考を整理しながらゴールを固める——逆利用もできる。 「要約して」だけでは弱い。「この記事を、初めてこのテーマに触れる人向けに3段落で要約して」まで落とすと、Gがはっきりする。 Context:文脈と「言葉の裏」を決める Cは「文脈とか言葉の裏を、どう処理するか」だ。 必要以上の推測をさせるか、それ以下でも許容するか。質問者の意識の外にあるものまで、AIに補完させるかどうか——ようは、その問題だ。 例えば「ブログ記事を書いて」とだけ言えば、AIは一般的なブログの型で書く。でも「ですます調は使わない」「一人称は私」「段落は空行で区切る」とCを足せば、出力の温度が変わる。 Cが薄いと、便利な汎用回答が返る。Cが厚いと、あなたの文脈に寄った回答になる。 Action:実行内容を具体化する Aは「実行」だ。GとCで概ねの方向性が定まっていれば、ここでやることを明確にできる。 とはいえ、複数の思考や視点が必要な場面もある。AIが便利なのは、A/BテストではなくA〜Zテストを一気に出しやすいことだ。 「案を3つ出して」「賛成派・反対派・中立の視点で整理して」とAに書けば、私はその中から選ぶだけで済む。複数の答えを並べてもらうことで、出力への納得度が上がる。 Output Format:出力先を固定する Oは出力フォーマットだ。ファイル形式や構造を指定する。 テキストならtxtやMarkdown、表ならCSVやExcel形式、資料ならスライド構成——必要としている書類の形式に沿った出力を指定したほうが、AIも迷わない。 「パワポの資料を作って」と指示するだけで、それっぽいアウトラインが返ってくる。コードなら言語とファイル名、記事なら見出しレベルと文字数——Oで先に決めておくと、後から整形する手間が減る。 特に、出力したいコードや文章については、アウトプット先を固定するのは重要だ。「どんなフォーマットにしよう」と悩むクッション時間がなくなる。 GCAOの実例 たとえば、ブログ記事の下書きを頼むとき、私はだいたいこんな感じで組む。 【Goal】 このテーマについて、読者が「自分ごと」として考えられる記事の下書きを作る。【Context】- 読者は生成AIを触ったことがあるが、プロンプト設計は未経験 - ですます調は使わない。一人称は「私」 - 専門用語は初出で短く説明する【Action】1. リード(問いかけ+私の立場)を書く 2. 本論を3つの見出しで展開する 3. 各見出しの下に具体例を1つずつ入れる 4. 反論になりそうな点を1つ拾い、短く応答する【Output Format】 Markdown。見出しは ## と ### のみ。箇条書きは最小限。GCAOと名前は付けていなくても、中身はこの4ブロックに収まっていることが多い。 このプロンプトは頑張るべきか GCAOは、まあまあ基本的な内容だ。私は意識しているわけではないが、だいたいこの通りにプロンプトを組んでいる。いつも通りでやれば、それなりにいい感じになる。 もしGCAOを名前として覚えていないなら、ロジックを登録しておくのが手堅い。Cursorのルール、Claudeのプロジェクト指示、Obsidianのテンプレ——環境ごとに「GCAOで組め」と短文で書いておけば、毎回フルで説明しなくても動きやすくなる。 頑張りすぎる必要はない。ただ、出力がしっくりこないときに「Gのどこが曖昧だったか」「Oを指定し忘れていないか」と振り返るチェックリストとして使う価値はある。 まとめ:型で自分の意思を載せる 生成AIの出力に自分の意思を取り込むには、プロンプトでルールを先に決めておくのが近道だ。GCAOはそのためのシンプルな型で、Goal・Context・Action・Output Formatの4つを埋めていけばいい。 理論やフレームワークを名前で渡すと、LLMはその枠の中で考えてくれる。毎回ゼロから指示を考えるより、型を再利用したほうが、選ぶ時間に集中できる——私はそう考えている。
個人ブログにレコメンド機能は必要か
「関連記事、もっと賢く出したい」 「でも個人ブログでレコメンドエンジン、意味ある?」 ——CMSのプラグイン一覧を眺めながら、私はこう思った。ユーザー体験を優先するなら実装してもいいけど、定期的に訪れる魅力がないと意味がない。 あなたはどうだろう。ブログに来たとき、「おすすめ記事」を見る派? それとも検索かSNS経由で直リンク派? 私は後者が多いサイトほど、レコメンドのROIは低いと考えている。ニュースサイトと個人ブログでは、読者の動き方がまったく違うからだ。 ブログコンテンツにレコメンドは必要かどうか ニュースサイトならあり。あらゆるジャンルを扱っているならあり。 読者は「次に何を読むか」をサイト側に委ねることが多い。更新頻度も高い。レコメンドの精度が上がれば、滞在時間とPVに直結しやすい。 単一ジャンルのよくあるタイプなら必要ない。 釣りブログなら釣り、防音ブログなら防音——テーマが絞られていると、関連記事はカテゴリとタグで十分回る。訪問動線も検索かSNSの直リンクが中心になりやすい。 が、一度見た記事を意図的によけるような施策はしてもいいんじゃないかなと思う。「読んだ済み」の表示だけでも、迷子感はかなり減る。 実装するにあたって WordPressなりCMSはプラグインがすでにありそう。 仕組み的には、記事のタグなりカテゴリを取得しておいて、ユーザーの個別IDをもとに「興味あるコンテンツをアクセスログから取得」が丸い方法ではある。 GA4とかアクセス解析ツールと連携するのがもっとも簡単な実装になるけど、ウェブサイトのコンテンツを自動的に最適化するデリバリーサービスをするなら、毎日違う記事を投稿するのが手っ取り早いといえる。早い話、コンテンツ量そのものがレコメンドの燃料になるわけだ。 Node.jsなりでWebページをスクリプト化することは可能だから、ユーザーセグメントをあらかじめ決めるID登録制にするなら、興味あるジャンルを表示するBingのニュースサイトみたいな方式を取ることはできる。 ただ、ID登録まで求める個人ブログはハードルが高い。読者の大半は会員登録なしで読みに来る。ここが個人サイトとメディアの決定的な差になる。 SEO的にはどうなるのか SEOの正解として、単一ジャンルのコンテンツクリエイトがもっとも効果的といわれている。 これは正解ではあるけど、最適解ではない。初心者が始めつつ収益化を目指すなら、単一ジャンルでコンテンツを地道に増やすのが定番だよという話。 毎日書くジャーナル方式な雑記サイトでも、文章自体に魅力があって「サイトコンテンツ>サイト名」の優先度ならいい。 SEOはサーチエンジンからの集客がメインになるため、この土俵で戦う以上、コンテンツだけではなく「サイト構成全体に統一されたキーワードが存在する」ことが権威性の評価点にはなる。 でも現在はAI要約があるため、ナレッジを主体にした解説系はそこに取られる。 逆に個人コンテンツとかSNSみたいな発信においては、一次情報となりやすいから強みが出ている。 レコメンドでユーザーが見たいと思っている記事を提示する方法を取るとするなら、SEOではなくドメインレベルでの調整が必要になる。 ようするに、ウェブサイト名で指名検索されるとか、ライターなり管理者の知名度が高く「コンテンツのファン」がいるかどうかが重要になる。 個人ブログで現実的な落とし所 コンテンツ自体は世に溢れかえっているので、現在は「クリエイターとファンの関係」がもっとも強い結びつきになっている。ようはSNS経由の流入が1番期待できるというわけ。 なのでウェブサイトでレコメンドを導入するなら、XとかYouTubeのように無数のジャンルから作為的にコンテンツを抽出してアクセスした時に「君はこれが見たいんだろ(ドヤ)」を提示するのが効果的ではある。 この場合、あらかじめID登録して「興味のあるコンテンツは?」とアンケートを取るなりしたほうがいいけど、ユーザーの期待にそえるほどのコンテンツ量を維持できるかが課題になる。 ようするに「Yahoo Japan」レベルのニュースサイトなら導入してもいいけど、個人ブログでそこまでやる必要はないかもしれない。 でも一度みた記事をわかるように注釈を入れるとアクセシビリティとしては親切かもしれない。派手なパーソナライズより、地味な既読管理のほうが現実的だ。 まとめ:シンプルで十分 個人ブログのレコメンドは、必須ではない。カテゴリ・タグベースの関連記事と、「既読」表示くらいで、体験は十分改善できる。 SEOよりSNS、多ジャンルより指名——この前提なら、レコメンドエンジンより記事の質と更新頻度に投資する方が、はるかに効く。
自制心の5レベル——Matt Grayが説くスケールの規律
「規律をつければ成功する」 「早起きとルーティンを守れば、ビジネスも人生もうまくいく」——自制心を身につけたい、規律をつけたいと思っている人は多いはずだ。 あなたはどうだろう。意志の力で乗り切る派? それとも仕組みに頼る派? 私は両方必要だと思う。ただ、レベル1で止まっていると、規模が大きくなった瞬間に必ず壁にぶつかる。Matt Gray氏の「5 Levels Of Discipline(自制心の5つのレベル)」は、その段階をはっきり示してくれる。 レベル1——自己コントロールの自制心 多くの人が想像する「規律」の形だ。 早起き、ルーティン、強力な意志、タスクの消化——個人の習慣を指す。始まりの場所として不可欠だが、これだけではビジネスのスケールに対応できない。すべての決定が自分を経由するため、労働時間が週60時間を超える「キャパシティの限界」に直面する。 レベル2——制約の自制心 意思決定の負荷(決断疲れ)を減らすための環境設計だ。 あらかじめルールを決めておき、自動的に行動をコントロールする。例えば、ミーティングは火曜日のみに行うと事前に決める。チームメンバーが問題を報告する際は、ただ問題を投げるのではなく、必ず自分の推奨案(解決策)を持参させるルールを徹底する。これにより、30日以内にチームが自立的に動く文化へシフトしやすくなる、という話だ。 レベル3——データ駆動の自制心 闇雲に努力(ノイズ)を増やすのではなく、ビジネスを本当に前進させるシグナル(適切な指標)にエネルギーを集中させる。 単にYouTubeの再生回数(20万回超えでも収益が少ない動画など)を見るのではなく、コンテンツごとの獲得キャッシュ(利益)をダッシュボードで厳密に追跡する。マーケティング、セールス、顧客成功チームをSlackなどで同期させ、部門間のサイロ化を防ぐ——数字で「何が効いているか」を絞り込む規律だ。 レベル4——システムの自制心 個人のパーソナリティ(属人性)からプロセス(仕組み)への移行だ。 「自分にしかできない」というプライドを捨て、システムにレバレッジを効かせる。課題を解決した際は、必ずステップバイステップのGoogleドキュメントと実際の操作を見せるLoomビデオの2つをセットで残す。かつて自身が6時間かけていた戦略監査タスクをチームに引き継ぎ、組織としての累積的な知恵が溜まる仕組みを作った、という具体例がある。 レベル5——レバレッジの自制心 単なる委譲(タスクを振って報告させる)ではなく、所有権の移転(成果と意思決定の権限を完全に渡す)を行う最高レベルだ。 ミッションクリティカルな機能であっても、ドキュメントと動画をベースに適切なメンバーへ権限を完全に委譲する。創業者自身は数年先を見据えた「構築、創造、思考」のフェーズに集中できるようになる。 動画の最後では、ビジネスが創業者にどれだけ依存しているかを測定する「Founder Dependency Test(創業者依存度テスト)」の受診が勧められている。 参考動画: https://www.youtube.com/watch?v=q7PGsuqjQdE レバレッジを意識する3つの例 個人的には「物事にレバレッジをつける」が、シンプルに効果が高いと感じている。物の見方を変える必要は出てくるが、意識的にレバレッジを決められる人なら、すぐ実現できるはずだ。 例1:ブログ運営——記事テンプレートとチェックリスト 毎回ゼロから構成を考えるのではなく、frontmatterの型・リードの型・締めの型を文書化する。新しい記事はテンプレートに沿って書くだけで、品質のブレと決断疲れが減る。これはレベル2(制約)とレベル4(システム)の合わせ技だ。 例2:情報収集——曜日固定と「推奨案つき報告」 ニュースチェックを毎日バラバラにやるのではなく、月・水・金の朝30分に限定する(レベル2)。Obsidianにクリップしたメモには必ず「これを記事にするなら何が論点か」を一行添えるルールにする——未来の自分への推奨案持参だ。 例3:家計——意志ではなく自動送金 「今月も貯金しよう」と毎月決意するのではなく、給料日に自動で積立口座へ送金する(レベル2+レベル5に近い「所有権の移転」)。お金の管理権限を未来の自分ではなく、仕組みに渡す。レバレッジの本質は、同じ努力でより大きな結果を得ることではなく、繰り返しの判断を仕組みに預けることにある。 まとめ:レベル1で止まらない 自制心の5段階を短く整理するとこうなる。 レベル1は始まりの場所だが、ここに留まってはいけない。レベル2で制約を設け脳のキャパシティを取り戻し、レベル3でシグナルに集中してノイズを排除する。レベル4で自分を超えてスケールするシステムを構築し、レベル5で権限を移転して本当の自由(アーキテクトとしての役割)を手に入れる。 科学的アプローチで試すなら、まず自分が今どのレベルにいるかを確認するのが早い。個人的には、レバレッジを自意識にかけて制限を決める——この一手から始めるのが現実的だろう。
やる気が続かない人へ……ヒューバーマン流ドーパミン管理
「今日はやる気が出ない」 「昨日まで調子よかったのに、急に何も手につかない」——躁鬱の波が激しい人、引きこもりがちな人、どうにもエンジンがかからない人にとって、これは日常茶飯事だ。 あなたはどうだろう。やる気の波、気合で乗り切る派? それとも「脳の仕組み」から探る派? 私は後者に傾いている。アンドリュー・ヒューバーマン博士が提唱するドーパミン管理は、一時的な高揚ではなく、持続可能なベースライン(基礎値)を維持する習慣と、報酬系をバグらせないハックのセットだ。 ドーパミンは「快楽」ではなく「追及」の分子 ここが前提になる。 ドーパミンは快楽の分子ではなく、モチベーション・渇望・行動(追及)の分子だ。ニコチンやSNSのスクロールのように一時的に急上昇させて後で燃え尽きる方法ではなく、毎日のベースラインを底上げする方向が推奨される。 博士の言う「持続可能な高いベースライン」とは、毎朝同じ調子で目が覚める、という理想に近い。派手な刺激のあとに落ち込むサイクルから抜ける、という話でもある。 ベースラインを上げる朝晩の習慣 毎日の「初速」を決めるのは、脳内ドーパミンのベースラインの高さだ。 朝、起床後すぐに日光を浴びる(10〜30分) 朝の光、とくに太陽光はドーパミン分泌を促す。継続するとドーパミン受容体の数そのものが増えるため、日常的にモチベーションが湧きやすい脳へ変化していく、という説明だ。 1〜3分間の冷水シャワー 起床後に安全な範囲で冷水を浴びると、アドレナリンとドーパミンの血中濃度が通常の2.5倍(250%)まで上がる。ニコチンやコカインのようなスパイクと違い、数時間にわたって緩やかに高い状態が維持され、クラッシュ(急激な落ち込み)が起きにくいという特徴がある。 私は朝のコールドシャワーを実践している。手軽で効果が体感しやすく、この動画を見てから確信に至った習慣の一つだ。 夜10時〜朝4時の強い光を徹底的に避ける この時間帯にスマホ・PC・明るいブルーライトを浴びると、脳内の「手綱」と呼ばれる領域(外側手綱核:habenula)が活性化し、翌日のドーパミン量を劇的に減らす。夜は部屋を暗くすることが、翌日のやる気を守る最大の防御になる。 チロシン豊富な食事とカフェインの戦略的摂取 ドーパミンの原材料となるL-チロシンを多く含む食品(赤身肉、ナッツ類、硬質チーズなど)を意識する。午前中のカフェインは軽微な放出に加え、受容体の感度を高めてドーパミンを効きやすくする効果もある。 燃え尽きを防ぐ報酬のハック 「目標達成したら豪華なご褒美」——多くの人がやる方法だが、博士はここに警鐘を鳴らす。 ご褒美が固定化されると、脳は行動そのものではなく結果だけにドーパミンを出すようになり、達成後のモチベーション低下(燃え尽き)を招きやすい。 間欠的報酬(ランダムに喜ぶ) カジノのスロットマシンの仕組みを、自分のモチベーション管理に応用する。マイルストーンを達成しても、毎回は自分を褒めたりご褒美をあげたりしない。成果が出た時、ある時は思い切り喜び、ある時は「よし、次へ」と淡々とスルーする。この報酬のランダム性が、長期的なモチベーションを持続させやすい。 努力のプロセスそのものを報酬と紐付ける 結果ではなく、「今、壁にぶつかっていてキツい」「必死に作業している」という努力している状態そのものを脳内で肯定(主観的コントロール)する。 前頭前皮質はドーパミン経路と繋がっており、「今、自分は目標に向かって前進するプロセスの中にいる。この負荷こそが脳を強化している」と意識的に認識(ラベル貼り)するだけで、ドーパミンが放出され、作業のストレスが「心地よい挑戦」へ書き換わりやすくなる、という神経科学的な説明がある。 やる気が出ない日のマイクロ・サックス 「どうしてもやる気が出ない」「タスクの前でフリーズする」——そのための即効ハックだ。 やる気が出ないとき、脳は「行動を起こすための精神的摩擦(リンビック・フリクション)」に負けている状態だ。 これを突破するために、あえて1分間だけスクワットする、15分間スマホに触らない、冷たい水で洗顔するといった、小さくて少しだけ不快なチャレンジ(マイクロ・サックス)を行う。 脳は自発的な不快・ストレスを乗り越えるためにアドレナリンとノルアドレナリンを放出する。これらはドーパミンの先駆物質(同じ化学経路)なので、小さな不快をクリアした直後に、本来やりたかった重いタスクへのエンジンが回り始めることがある。 原始のリズムに戻すという選択 体質的に向き・不向きはある。ただ、人類全体として最もマストな方法は、生活を原始レベルに戻すことだと私は思う。 暗くなったら寝て、明るくなったら起きる。当たり前に聞こえるが、人類が夜でも十分な灯りを持てるようになったのは20世紀以降の話だ。進化は「眠らない町」にまだ追いついていない。 とくに「家から出なくても生活できる」状況は増えた。その領域で正しく生き抜く力を得るためにも、ドーパミンをコントロールして生活を律することが重要になる、というのが私の読みだ。 参考動画: https://www.youtube.com/watch?v=QmOF0crdyRU まとめ:ベースラインを守る ヒューバーマン流の要点は三つだ。 朝の光と冷水、夜の暗闇で毎日高いベースラインを作る。やる気が出ないときは小さな不快な行動で脳のスイッチを入れる。行動中は「この努力のプロセス自体が価値がある」と認識し、結果へのご褒美はあえてランダムにする。 気合より、生活リズムと報酬設計——そこから始めるのが現実的だろう。
TVや新聞が面白くないと感じる理由
TVをつけても、新聞をめくっても、「面白い」とは思えないことがある。 ニュース速報、政治討論、事故現場の映像——情報は届く。けれど、私の生活はほとんど変わらない。 あなたはどうだろう。TVや新聞、まだ面白いと感じる派? それとも「情報ツール」として使う派? 私は後者に近い。面白さが必要なのかどうか、ずっと考えている。 面白いってなんだろう 面白いってなんだろう。 面白いと感じるのは人それぞれの自由ではないだろうか。 政治の話題は金になるからって、煽動したりして、注目を浴びる。それを面白いと思っているのだろうか。面白いと感じているかもしれないけど、どちらかといえば、興味がある人が多いか少ないか。 TVや新聞に面白さは必要だろうか TVや新聞に面白さは必要だろうか。 ニュースに面白さは必要ないが、正確性は欲しい。新聞も同じことがいえるし、面白いとは思わないけど、情報を効率的に摂取できるツールみたいなものだと思っている。 ニュースもみんな気づいているのではないだろうか。 それを知ったところで、私の生活に大きく影響はしないだろう、と。 戦争紛争で物価高は確かに影響こそする。でも生活を脅かすほどじゃない。 メディアはそれを伝えることで、何を我々にしろといっているのだろうかと勘繰ってしまう。なぜなら、注目を浴びなければ、スポンサーがつかなければ、営業を続けることが難しいからだ。 「報道の公平性」ってなんだろう 「報道の公平性」ってなんだろうね。 ニュース提供側としてはそのままを伝えているつもりだろうけど、政治の話はなぜか専門家なりコメンテーターがいて、意見を聞くのはなぜだ?あえて批判的な意見から入るのはなぜだ?と感じることもしばしば。 派閥とか集団意識なりのなわばり争いなんか、憶測で話をしやすいから、多少誇張したほうが注目をあびる。アテンションエコノミーに気をつけてとか、スマホのメールフィッシングに気をつけてとか、もっともらしいことをいっているが、TVや新聞はそこでここまで稼いできたのではないだろうか。 遠くの出来事と、知ったところで 節税は悪いこととかいうけど、寄付だって節税対策のひとつなんだから、そこをあえて隠すような報道はばからしい。どこかの金持ちが処理に困っている時に、寄付という節税を知ることで助かる人だっているのではないだろうか。 交通事故があればそこに赴いて写真を撮るとか、事故現場を写したところで、影響が出ているのはそこを通る人たちくらいだ。遠くはなれている人にとって事故とか火事は、知ったところでどう反応したらいいのと思う人だっているだろう。 まとめ:面白い必要あるか 面白さと正確性は、同じ土俵に乗せられがちだ。私はニュースに面白さは要らない。要るのは、生活にどう効くかを自分で判断するための材料だ。 「おもしろい必要があるか?」——答えはまだ出ていない。でも、面白くないから見ない、ではなく、面白くないからこそ別の使い方を探す、という方向には向かっている。