ゴルフ場でボールを拾って磨いて売る。キャディーをしつつ成功率の高い指示を出す。コーラの瓶を集めて売る。壊れたモノを集めて修理する。
——成功者・億万長者の伝記に出てくる幼少期のエピソードは、だいたいこういう話だ。私は「運が良かった」「才能があった」より先に、お金のもらい方を体験していることに目がいく。
あなたはどうだろう。「稼ぐ=労働時間の対価」派? それとも「誰かの役に立った結果」派?
私は後者に寄っている。ビジネスの本質も、たぶんそこにあった。
子供の頃に学ぶ「お金のもらい方」
幼少期に「お金のもらい方」を学んでいる。体験とか人に聞いた話とか、そもそも、そうしないと生きていけないとか。例えば、ゴルフ場でボール拾いして磨いて売ったりとか、キャディーしつつ成功率の高い指示を出したりとか、コーラの瓶を集めて売ったりとか、壊れたモノを集めて修理したりとか。
子供の頃に「なぜこれでお金をもらうことができるのか」を体験して、出た答えが「誰かの役に立つこと」に繋がってくる。労働の対価がお金ではなく、人を助けること、何かを与えた見返りとして渡される「価値だ」とどこかで気づく。ビジネスの本質はそこにあると感じるわけだ。
アスリートは競争力が原動力になる
アスリートは別の話だけど、これは競争力が原動力になる。何かで1番を取ることを目標とした結果、目指すべきところが世界一になる。
とはいえ、そこだけが目標だと金メダルとかワールドチャンピオンで燃え尽きるから、真のアスリート(例えばボルトとか)はどこに目標を設定するのだろうか。
ビジネスマンの目標は「世界一の富豪」ではない
ビジネスマンも同じこと。イーロンは世界一の富豪ではあるけど、手持ちの金はいわれるほどない。持っている企業の株価が高いから総資産でいうと高い。だから彼の目標は「世界一の富豪になる」ことではないとわかる。
火星に人を送ることをミッションとしているなら、やろうと思えば今でも出来るけど、達成したらまた別のことを始めるだろう。
目標は大きく、成功は他人が決める
目標は大きくしたほうがいい。その過程に小さくても大きな成功に繋がる体験が積み重なっていく。
成功したかどうか観測するのは、当人ではなく他人が見たものでしかない。当人は成功とは思っていないかもしれない。この感覚は一般に無いわけでもない。違うのは、諦めるか死ぬまでやるかの話。
功績は死後に確定する
多くの芸術家は死後に資産価値が高まっているのと同じく、生存中の価値決定は曖昧なモノであり、功績とは死後確定するモノ。
生きているあいだの「成功者」ラベルは、他人の観測にすぎない。当人が死ぬまでやり続けている間、そのラベルは暫定だと思った方がいいのかもしれない。
まとめ:価値の対価がお金
成功者の特徴を「億万長者になること」だと読むと、ずれる。幼少期の体験から見えるのは、誰かの役に立つことと、その対価としての価値交換だ。
目標は大きく置く。過程で小さな成功体験が重なる。当人は成功と思っていなくても、他人がそう観測する。違いがあるとしたら、諦めるか死ぬまでやるか——くらいのものではないだろうか。